G.ブヤンデルゲル氏は言語学の修士、中国語の通訳者、仏教哲学研究者、教師である。2010年から「モンゴル大蔵経仏説部(甘殊爾ガンジョール)と大蔵経論部(丹殊爾ダンジョール)の翻訳」プロジェクトの書類を作成し、仏教哲学の原点を母国語で研究し、教育分野とその方針や動向に貢献する活動に献身的に取り組んでいます。チベット語、英語、中国語、ロシア語、サンスクリット語が堪能で、2008年からツォグト・ツァギーン・フルデン文化センターの所長を務めています。

J(ジャルガルサイハン): 「モンゴル大蔵経仏説部と大蔵経論部の翻訳」という大きな仕事をどうして始めたのですか?これについて話を聞かせてください。
ブヤンデルゲル: お釈迦様の弟子としての最高位はラマです。私は1989年から今日まで仏教を信仰し、数多くの先生に出会い、尊敬し、彼らから仏の教えを学んできました。先生たちが一番に言っていた仏の教えは、いつも大蔵経仏説部と大蔵経論部からの説教でした。その時から私の心の中に仏の教え、特に大蔵経仏説部と大蔵経論部が心に残りました。私に大蔵経仏説部と大蔵経論部を教えた3人の先生について話したいと思います。ノモンという名で有名になったスフバートル県出身の人で、後に都で僧侶になったノモントゥブデンという先生がいました。この先生は1993年に93歳で亡くなりました。私がこの先生に弟子入りしていた時、先生は仏の教えを教えながらいつも大きな経典を持ち歩き、書き写して読んでいました。当時、私は14、15歳だったので、好奇心からある日先生に「先生、いつも何を写して書いているのですか?」と聞きました。先生は「お釈迦様が説いた大蔵経仏説部の中の秘密経部、金剛般若波羅蜜経、八千頌般若経です」と言っていました。何を書いているかは分かりましたが、なぜ書き写すのかという疑問をずっと持っていました。そして先生に「先生、どうして書き写すのですか?」と聞くと、先生は「道の食料品を作っています」と言っていました。この答えを聞いてどうして「道の食料品」なのかと思っていました。しかし、今思うと先生は「お釈迦様が説いた経典はとても素晴らしい。これはこの世だけではなく、宇宙と世界を形成する全てがこの本にあり、この教えを読み、研究し、書き、人々に伝達することがこの生涯における最大の光となる」ということを言っていたと思います。

J: 他の2人の先生について話を聞かせてください。
ブヤンデルゲル: 私が尊敬する2人目の先生は、ダシチョイロン寺を建立したご院主のチャドラーバルというラマです。この先生は自分の読んでいる大蔵経仏説部についていつも話してくれていました。私は幸運に恵まれ、グムブン寺で学ぶ機会を得ました。私たちにお釈迦様の多くの経典を教えてくれた次の先生はシャフランというラマです。内モンゴルのオルドス市出身のモンゴル人であり、一般にはズルヘンラマと知られたラマです。

J: 今日、モンゴルでは宗教があるようなないような感じです。信仰がない人は仏を信じない、自分自身をも持てなくなっています。このような状況の中で皆さんが取り組んでいる翻訳活動は非常に意義があると思いました。私は2年前にダライラマ14世と会った際、モンゴル人の宗教は仏教だと言っていますが実際には仏教についての理解が浅く、すべての経典はチベット語で書かれているため、お釈迦様の教えをあまり分かっていません。ラマのところに行くとチベット語で経を読んでくれますと言いました。その時にダライラマは、「モンゴル人は早くからお釈迦様の教えを母国語で読むようになっておくべきだった」と言われました。お釈迦様は何年前の「人物」だったのでしょうか?
ブヤンデルゲル: お釈迦様がいた時期について経典上では二通り書かれています。1番目は、前世と来世と見ます。前世ではお釈迦様がいた時期を今日までとみれば2600年前と見ます。来世では今から3000年前と見ます。私はお釈迦様が3000年前にいたと見るのが正しいと思います。

J: 3000年前にどんなところで生まれたのでしょうか?
ブヤンデルゲル: インドとネパールの国境にあるルンビニ公園と言われており、現在ではインドの東北部に当たります。

J: お釈迦様は森の中で経を読み、人生の悟りを開き、瞑想し、自分の教えを人々に説いていました。お釈迦様が口頭で言っていた教えを書き留めていましたか?大蔵経仏説部と大蔵経論部は書き留められたと言われています。それはヒンディー語でしたか?
ブヤンデルゲル: お釈迦様がいた当時の言語は現在のパーリ語です。

J: ブッダ(お釈迦様)という子がパーリ語で教えた教えを初めて書き留めたこの作品を私たちは大蔵経仏説部(ガンジョール)と言っています。大蔵経仏説部(ガンジョール)と大蔵経論部(ダンジョール)の違いは何ですか?
ブヤンデルゲル: 大蔵経仏説部と大蔵経論部とはチベットの言葉です。一つは命令の翻訳、もう一つは物語の翻訳という意味です。お釈迦様は普通の人間の身体を持って生まれました。私たちは普通の人の姿から涅槃の姿を見ると話します。これはお釈迦様がこの世を去るという意味です。お釈迦様がこの世を去ってから3回の大集会が開かれたと言われています。この大集会とは、お釈迦様が教えをこのように説いた、問題をこのように定義したと弟子たちが話し合ったという大集会のことです。東南アジア諸国では、お釈迦様がモンゴル人だったと言います。なぜならば、大集会を当時のモンゴル系の王様が主催していたと言われています。この大集会で最も重要な役を果たし、お釈迦様の教えをまとめたという3人の有名な人がいます。一人目は、サンスクリット語で名前はアナンダ(すべてを喜ばしたという意味)というラマです。2人目は、ウバリというサンスクリット、パーリ語の名前の人です。3人目は、ガシャブというお釈迦様の有名な弟子です。この3人の弟子がお釈迦様の言っていた言葉や教えを具体的に間違いなく完全に覚えて、それをお釈迦様がこう言っていたと一つ一つを弟子たちに伝えていました。

J: お釈迦様の教えを命令と物語として書いたものですね。大蔵経仏説部(ガンジョール)は命令であり、大蔵経論部(ダンジュール)は物語です。そうすると2種類のものとなっています。これがいつから大乗と小乗に分かれましたか?
ブヤンデルゲル: 私は先程3回の大集会が開かれていたと述べました。この大集会ではお釈迦様はどんな人に何と教えをしたかを明確に言っていました。その時から小乗と大乗の差異が出てきていました。これは人を差別していることではなく、その人の精神、思考に合わせて教えをしていたことであり、これが小乗と大乗の違いです。

J: 大蔵経仏説部(ガンジュール)と大蔵経論部(ダンジョール)のモンゴル語翻訳プロジェクトはいつから始まりましたか?誰が何を担当していますか?
ブヤンデルゲル: 代々のラマは大蔵経仏説部と大蔵経論部についていつも話していたので、心の中に深く印象を残していました。私は当時からこの経典を学びたい、わかるようになりたいと思っていた一人です。しかし、この社会全体がこれらをわかるようになったら、どんなに良いことだろうと思ったことがきっかけとなって始めました。このプロジェクトを始めるためにその準備と計画に10年かかりました。そして1999年に最初のアイディアをもって2000年にプロジェクトに携わる若い人たちの養成を始めました。どうして若い人たちの養成を始めたかと言うと、研究者や年長の僧にはそれぞれ自分たちの研究があります。だからこのプロジェクト活動を始めるためには限りなく完璧に近いチームを作る必要がありました。そのために過去10年間に渡り、大蔵経仏説部と大蔵経論部の翻訳、研究、言語学などの側面で若い人たちの養成を段階的に行ってきました。

J: この大蔵経仏説部と大蔵経論部を現代モンゴル語に翻訳するためにどのくらいの資金を使っていますか?
ブヤンデルゲル: 物質的な面で考えてみれば膨大な資金が必要です。大蔵経仏説部と大蔵経論部の翻訳活動に関しては過去6年間で毎月の給与のみで2500~3000万トゥグルグがかかっています。さらに出版費用が加わります。このように物資的な面で考えれば私たちがこのプロジェクトを動かすのは不可能です。しかし、お釈迦様の教えとは大きな力を持っているということを感じています。とにかく私たちは途方に暮れる様な状況には陥っていません。モンゴル人は信仰をもち、仏を敬う国民です。そのため、信仰があり、仏を敬っている国民一人一人が私たちの協力者です。私たちは個人や企業、団体と協力するようになりました。私たちは彼らに知的に対する投資として、お釈迦様の経典について研修や助言を行っています。彼らはその見返りに私たちを支援しています。私たちが取り組んでいるこのプロジェクトの最終的な目標は、大蔵経仏説部(ガンジョール)と大蔵経論部(ダンジョール)及びお釈迦様がこの世にいた時の経典、モンゴル研究者による作品など合わせて400巻の本の翻訳を完成させることです。

J: 今日、皆さんが取り組んでいるこの活動から見て、モンゴルの子どもたちがお釈迦様の教えを文学の本のように母国語で読み、理解するようになるのはいつごろだと思いますか?
ブヤンデルゲル: このプロジェクトは初めにお釈迦様の教えの原点となる大蔵経仏説部と大蔵経論部を現代モンゴル語に翻訳し、みんなが読み、理解できるようになることが最も重要なことです。その次にマーケティング、管理チームを作り、計画的に公共に普及させることです。この活動は今少しずつ進んでいます。

ブヤンデルゲル * ジャルガルサイハン