ジリ・ブロドスキ氏は、プラハ商業アカデミー、アングロ・アメリカン大学(AAU)芸術学部、政治学及び社会学を専攻、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス (LSE)で修士号を取得しました。ジリ・ブロドスキ氏はプリミエラテレビ局でフリーランス劇作家、プラハビジネスジャーナル研究員、プラハ経済大学対外関係及び広報担当副学長補佐、チェコ大統領府、NATO、EU外交課アナリスト、チェコ共和国外務省、在デンマークチェコ共和国特命全権大使を歴任しました。

J(ジャルガルサイハン): こんにちは。今日は番組に出演して頂き、ありがとうございます。あなたは、私の家族にとって親しみのある国を代表しています。私自身、5年間チェコに住んでいました。娘の第一外国語がチェコ語でしたし、私の妻もチェコ語を話します。旧チェコスロバキア共和国とモンゴルが70年前に外交関係を樹立してから、何万人ものモンゴル人が旧チェコスロバキアを訪れました。そして、今年は外交樹立70年の記念の年となっています。では、今日に至るまで両国が何をして来たか、またこれから改善すべきことは何かについて話したいと思います。まずは、外交関係樹立当時の経緯を簡単に話してもらえますか?

ジリ・ブロドスキ: 温かいお言葉をありがとうございます。もちろん、あなた自身がチェコ共和国と繋がりがあることを存じています。あなた方の美しい国にチェコの国旗を掲げることは、私にとって大変名誉なことです。仰る通り、今からちょうど70年前の4月25日、私たちは外交樹立を祝っていました。当時はチェコスロバキア共和国でしたが、もちろん、チェコ共和国とスロバキアは旧チェコスロバキアの継承国であるため、私たちはこの記念を祝っていますし、祝うべきだと考えています。このことには様々な理由があります。

J: 二重の祝いになりますね。

ジリ・ブロドスキ: そうです。スロバキアも祝っています。ただし、彼らは北京からモンゴルをカバーしているので、少し状況が異なります。1950年以降、チェコとモンゴル両国の関係は積極的に進んできました。チェコの地質学者は外交関係樹立以来、モンゴルと深く関わってきました。彼らはエルデネトの銅、モリブデン鉱床の発見に貢献しました。またモンゴル全土で様々な鉱床のマッピングにも関与しました。

J: その話はあまり知られていない話ですね。現在のエルデネトの銅及びモリブデン鉱山は、モンゴルの経済に大きく貢献していますが、元々は1960年代後半にチェコの科学者によって最初に発見されました。

ジリ・ブロドスキ: その通りです。当時、モンゴルには何百人ものチェコ人がいました。彼らはモンゴル国立第一病院や現在庁舎となっている建物、それからダルハン市のセメント工場などの重要な公共施設の建設に関わってきましたが、中でも彼らはダルハン市の開発に深く関わりました。また、バヤンウルギー県の郵便局の建物も建築しました。このように、チェコはモンゴルの建築分野にも深く関わっていたのです。

J:  ウランバートルで生まれ育った人間として、当時私たちは国立第一病院を“黒い病院”または“黒い建物”と呼んでいました。国立第一病院は、この国の建築の新たな基準となりました。内装デザインもソビエト連邦デザインとは異なるものでした。だから、私たちはいつもこの医療システムについて話していました。プラハに行って、私は病院だけでなく、それ以外にも同じアプローチがなされていたのを見てとても驚きました。建物のコンセプトが違いますね。1940年代半ば、当時のチェコスロバキアは世界で7番目の先進国でした。ヨーロッパの産業の中心地の一つでした。これが、あなたが今挙げてくれたモンゴルでのプロジェクトにも反映されたのだと思います。

ジリ・ブロドスキ: はい、そうです。私たちはモンゴルの靴と皮革産業の強固な基盤を築くために尽力してきました。もちろん、当時、両国はソビエト連邦の構成国であったので、お互いに良好な関係を築き、相互に助け合うことが求められていました。

J: 経済統合ですね。それは別のイデオロギーとセットでした。しかし、モンゴルはあなたの国のデザインや工場を受け入れられ幸運でした。残念ながら、当時の靴工場はもうなくなってしまっていますが。当時の靴工場の生産能力はどれくらいでしたか。人口の3〜4倍の靴を生産する能力があったかと思います。おそらく、それで靴を輸出していたのではないかと思います。

ジリ・ブロドスキ: その通りです。両国がソ連の構成国であったために、より緊密な関係にありました。チェコスロバキアはモンゴルの貿易額の6%を占め、ソ連に次ぐ2番目に大きな貿易相手国でした。その結果、モンゴル人は多くの世界的に有名なチェコ、チェコスロバキアのブランド名で製品を生産するようになりました。例えば、ヤワ(Jawa)はオートバイ、タトラはトラック、バタは靴、シュコダはバス、カロサは赤バスとして有名で、シュコダ車など様々な製品がモンゴルでもとてもよく知られています。モンゴルの発電所で使われているタービンもチェコスロバキアから来ています。また、両国の関係において最も重要な部分となる人々の交流についても触れておきたいと思います。1990年以前は、2万人以上のモンゴル人がチェコスロバキアの大学に通っていました。私は彼らをモンゴルでのチェコの大使とも呼んでいます。彼らはチェコ語、スロバキア語を話します。今日まで、彼らは両国の関係に大きな変化をもたらしてきました。そういった人々は非常に多くいるので、全員の名前を挙げることはできないほどです。

J: こうした人々の交流は今でも盛んに続いています。現在、チェコ共和国に住んでいるモンゴル人が何千人くらいいるかご存知ですか?

ジリ・ブロドスキ: 現在、10万人くらいのモンゴル人がチェコに住んでいます。ヨーロッパの他の国々に住んでいるモンゴル人の数と比べて、チェコ在住者が一番多いです。これは、新型コロナウイルスの流行前のチェコ経済が非常に活況だったためだと思われます。チェコはヨーロッパで最も失業率が低い国でした。一方、自由市場で輸出依存国であるチェコの企業は人材を必要としています。ですからチェコ政府は人材採用に関して、私たちに近い国から、これは地理的に近い必要はなく、歴史、文化、風土、言語などの面で近い国から、簡単に言えば、私たちの国を知っており良好な関係にある国、私たちの国や環境に慣れている国の人々を採用することと決めました。こういった意味でモンゴルは成功例であり、モンゴル人が我々の国で、チェコの食品加工、自動車、機械産業の50社以上の企業で働くことで、それぞれの企業に大きな変化をもたらしてくれていることに感謝しています。食肉加工産業に関しては、モンゴル人は経験豊富なので、私たちは彼らから利益を享受しています。ですからチェコ政府は毎年1200人のモンゴル人を雇用しています。これがチェコ共和国のモンゴル人の数を増やしています。

J: 毎年1200人のモンゴル人が公式にチェコ共和国で採用されているということですか?

ジリ・ブロドスキ: そうです。そして、チェコ大使館が労働許可証に関連する書類を準備するので、これは私たちにとって大きな仕事になります。

J: 従業員に対して、特定の資格など要求されますか?

ジリ・ブロドスキ: あまりありません。もちろん、我々としては能力のある人材が欲しいわけですが、縫製、皮革加工、食肉加工に関する資格や能力を持っていて、チェコ共和国で仕事をしたいと考え、特定の分野に関する専門知識を習得することに興味を持っている人々を受け入れたいと考えています。なぜなら、そういった専門知識を身に付けた人たちはモンゴルにいつか必ず戻って来るからです。

J: 雇用には一定期間制限がありますか?

ジリ・ブロドスキ: はい、2年間ですが延長もできます。

J: 何度も延長できますか? それとも一度だけ延長できますか?

ジリ・ブロドスキ: 何度も延長できます。

J: それは労働能力によってですか?

ジリ・ブロドスキ: これから分かることですが、少なくとも今のところは新型コロナウイルスの危機がチェコ企業の労働力需要を増やしています。

J: ということは、特にモンゴル人がより良い仕事と給与を求めている場合、チェコは多くのモンゴル人労働者を獲得することができることになりますね。あなたの国は独自の通貨を持つ数少ないEU加盟国の一つです。私にとって最も不思議に思うことは、私が80年代後半にあなたの国に住んでいたとき、1米ドルは23チェコクラウンに相当しましたが、今日もほぼ同じです。これほどまでに強い通貨を持っているあなたの国の秘密は何ですか?

ジリ・ブロドスキ: これはアロイス・ラシーンの初期の共和国時代に始まった、比較的保守的な金融政策の伝統だと思います。経済的には、為替レートの柔軟性は最も重要な経済変数の一つだと思います。独自の金融政策を持ち、必要に応じて為替レートを調整できることは、経済にとって大きな資産です。

J: そういう政策は中央銀行の外貨準備高に何らの害を及ぼしますか?

ジリ・ブロドスキ: あまり害はありません。チェコは1990年代には、均衡の取れた予算がありました。 当時の財務大臣また元首相のヴァーツラフ・クラウスにより作成されました。これは非常に責任を伴う金融および財政政策でした。この基盤というのは、あなたの質問への答えの一つの理由か、その答えになると思います。中央銀行は、紙幣を印刷したり、切り下げに動くように圧力をかけられたことはありません。ただし、2013年に一度だけの例外、為替介入がありました。

J: 何があったのですか?

ジリ・ブロドスキ: 中央銀行はインフレターゲットを狙い、外国為替への介入が求められ、実行しました。

J: その時のインフレ率はいくらでしたか?

ジリ・ブロドスキ: 間違っていなければ、約2パーセントでした。

J: (笑)あなた方は2パーセントを問題だと言います。一方、モンゴルでは、幸運なことに一桁だと言います。9%までということですね。今は7%か8%くらいです。チェコは何年にEU加盟国となりましたか?

ジリ・ブロドスキ: 2004年です。

J: EU加盟国であるため、財政赤字はGDPの3%未満に抑える義務を負っていますよね。チェコはこの数字を超えたことはありませんか?

ジリ・ブロドスキ: 今のところ、超えたことはありません。この点も、私たちは非常に責任ある方針を持っています。法的には、私たちはユーロを通貨として使用する義務があります。しかし実際のところ、ユーロを通貨として使用することに急いでいません。あなたが言ったように、チェコは必要な基準を満たしています。ですから今の政府はまだユーロ導入の決断をしません。

J: あなたの国は東側諸国の中で、ユーロを使用せず、EUに参加できた数少ない国の一つです。そしてこれがまた違った状況を招き、経済の安定性を保っています。この経済バランスと強い通過の為替レートを維持するために、チェコの輸出構造はどのようになっていますか?

ジリ・ブロドスキ: まず、先ほどお話しした産業基盤についてお話ししたいと思います。この生産拠点は、40年代以前から始まっていました。共和国初期、それ以前にチェコがオーストリア=ハンガリー帝国の一部であったころに遡ります。チェコは帝国の工業地帯の3分の2を占めていました。この伝統は私たちの国で今も受け継がれており、輸出だけでなくチェコとモンゴルの関係にも反映されています。モンゴルの企業は、チェコの企業がヨーロッパのテクノロジー、機械、スマート・テクノロジー・ソリューションをモンゴルに導入することで大きな変化をもたらすことができることをよく認識しています。これは私たちの輸出関係の重要な部分です。

J: それらは私たちの経済にも影響を与えました。 私たちはこれらすべての自動車、設備、バスを受け取りました。あなたはチェコの通貨を今まで強く維持する要因として産業基盤について話しました。また別の要因は外国直接投資ですね。シュコダがドイツ企業傘下に入ることを認め、シュコダのブランド名を維持しながらフォルクスワーゲンになりました。直接投資を引きつけるこれらのビジネスについてお話しいただけますか?

ジリ・ブロドスキ: これは成功したビジネスストーリーでした。とても良い判断だったと思います。その結果、シュコダは新型コロナウイルスのこの大変な情勢を克服し、世界で最も成功した企業の一つとなっています。

J: 当時、シュコダは既に東ヨーロッパの自動車市場でも優れた車でした。現在、フォルクスワーゲンと合併したことで、ゴルフや他のブランドとも競争することができています。

ジリ・ブロドスキ: そこでも重要なのは、チェコのデザイン、チェコの専門知識、チェコ人従業員とモンゴル人従業員です。シュコダにはモンゴル人従業員もいます。シュコダはモンゴルに興味を持っていて、モンゴルに再び進出したいと考えています。同社はモンゴルで有能なパートナーを見つけました。 もうすぐモンゴルに来ると期待しています。

J: それは間違いなく私たちが見届けたい瞬間です。これと似た外国直接投資の成功事例を教えてください。

ジリ・ブロドスキ: 韓国からの投資には多くの成功事例があります。これもまた自動車業界です。ヒュンダイはチェコ共和国で生産しています。私たちは中央ヨーロッパで最大の自動車及び自動車機器のメーカーです。私たちはヨーロッパ自動車業界のハブとなっています。

J: あなたの国に外資系銀行はありますか?

ジリ・ブロドスキ: はい、あります。銀行の所有者が外国である場合ですね。2008年、2009年のリーマンショックの時は、チェコの子会社が外国に親銀行を持っており、これが健全であることが証明されました。それには多くの理由がありました。

J: チェコ共和国の外資系銀行は総資産の何パーセントを所有していますか?

ジリ・ブロドスキ: 推定に過ぎませんが、約80%以上は外資系銀行が所有していると思います。

J:  つまり、銀行の所有者の80%は外国人で、シュコダブランドを販売しています。名前はまだシュコダですがドイツ人が所有しています。 そして韓国人がそのビジネスを経営しています。

ジリ・ブロドスキ: ちなみに、カロサはイタリアのイヴェコ社が所有しています。

J: こういった場合、モンゴル人なら「あなたは自国を外国に売っている。外国人が来て、私たちのビジネスを買っている」などと言いますが、チェコの市民はこういう状況にどのように反応しますか?

ジリ・ブロドスキ: 民主主義と市場経済への移行における私たちの目標は、経済を開放して自由化し、政府による経済規制を撤廃し、政府の補助金を撤廃することでした。これは、私たちが外国からの投資に対してオープンだったことにも繋がります。この移行は、我が国の成功物語でした。これが外資を呼び、チェコの人々に雇用機会を創出しました。また、チェコに革新的なアイデアをもたらしました。だから私たちはそれについて文句を言ったり、反対したりはしません。

J: これが両国の違いの1つです。

ジリ・ブロドスキ: これはまた、我が国の地理的特徴にもよることを付け加えたいと思います。私たちはヨーロッパの中心にいます。

J: 最も中心的な場所ですね。

ジリ・ブロドスキ: はい、まさに中心です。すべてのいわゆる外国人から身を守り、国境を閉ざし、EUへの加盟を望まない島になることは不可能でした。

J: ブルノはまだチェコ共和国の一部ですよね?

ジリ・ブロドスキ: そうです。我が国の非常に重要な部分です。

J: なぜですか?

ジリ・ブロドスキ: ブルノはチェコ共和国で2番目に大きい都市であり、そこには大きな大学があります。市はビジネスと学術研究で溢れています。

J: 両国間の現在の貿易とビジネス関係について話しましょう。これは以前ほど良好ではありません。今の状況を説明して頂けますか?

ジリ・ブロドスキ: 重要なテーマですね。両国間の貿易を先導するこの大使館を率いることは私にとって名誉なことです。チェコ共和国が1990年以前のモンゴルの対外貿易の6%を占めていたことを考えると、今日の両国間の貿易高はわずか1900万ドルです。これはあまり良い数字ではありません。これから私たちは努力を重ねなければなりません。現在、貿易の活性化に注力しています。私たちは、モンゴルがチェコの開発協力の主要国であった1996年から2017年の時期より、さらに非常に重要な移行をしようとしています。過去には、農業、林業、水処理、エネルギー、インフラ開発に総額5,000万ドルを超える59の重要なプロジェクトを実施してきました。私たちは現在、ドナーとレシピエントの関係から、2つの独立したビジネスパートナーの関係に移行しています。私たちはこの関係を長期的なものと見ています。2006年と2019年の間の両国間の貿易収支を見ると、2012年に達したピークに再び戻ろうとしています。しかし、大使館として最も重要な課題は、両国の路線を近づけることです。モンゴルからチェコ共和国への輸入を奨励することです。チェコ共和国は、EU加盟国の中であなたの国の親友です。モンゴルはこの関係を使って、自らの製品をヨーロッパ市場で売ることができます。一般特恵関税制度を使うこともできます。つまり、6200品目を免税で輸出することが可能だということです。大使館のもう一つの仕事は、現在の成長を両国間の貿易において未来的志向とすることです。チェコがモンゴル人の労働者を雇うことは重要ですが、チェコの投資をモンゴルに引き付け、モンゴルでモンゴル人に仕事を提供することも同様に重要です。

J: どのような投資が行われましたか?

ジリ・ブロドスキ: これまでのところ最大の投資は、Finep社がエルデネト市に集合住宅を建設している案件です。1500億トゥグルグ以上が投資されました。Finep社はエルデネトに1650世帯が入居できる20棟の集合住宅のうち9棟を完成させました。今年の7月には、55世帯に新しい住宅が引き渡されます。これは、モンゴルへのチェコの投資の好例です。

J: 店舗などもある複合施設ですか?

ジリ・ブロドスキ: そうです。チェコ企業はエルデネト市に良い変化をもたらしていると思います。集合住宅周辺の道路も改修しました。また、市のエンジニアリング・ネットワークも開発しています。とても良い例です。

J: 面白いですね。チェコ共和国の規格に適した道路が作られています。これはモンゴルの土木会社にとって良い基準となります。他にどのような投資がありますか?

ジリ・ブロドスキ: 現在、エネルギー分野への主要な投資について議論しています。この投資は、モンゴルの統合エネルギー・ネットワークに現代的で包括的なスマートソリューションを提供します。スマートメーターを含み、7000万ドルの費用がかかります。つまり、両国の年間貿易高の3倍です。

J: それは具体的にどういう投資なのですか?

ジリ・ブロドスキ: モンゴルにスマートメーターを導入することを主な内容とするものです。チェコのスマートメーターをモンゴルでの合弁会社を設立して導入します。

J: どこに導入するのですか。サプライチェーンの要点はどこですか?

ジリ・ブロドスキ: センター測定とエンド測定の両方で利用できます。プロジェクト全体について話すとしたら、各ラジエーターにスマートメーターが設置されることを意味します。

J: 暖房もですか?

ジリ・ブロドスキ: 暖房も、電気も同様です。プロジェクトは電気から始まります。

J: それはシステムをより効率的にするのに役立つということですね。モンゴルはエネルギー喪失が著しいですからね。とても興味深いです。他に何かできることはありますか。これらすべての完成を妨げているものは何ですか?

ジリ・ブロドスキ: 両国間の貿易が成功するもう1つの分野は、水処理です。モンゴルで登録されているチェコの優れた会社であるハンザ社は、すでにモンゴル国内に数十の汚水処理プラントを建設しています。最近だと、ウランバートル国際空港に下水処理場を建設しました。別の例は、オユトルゴイにある最先端の水処理膜プラントの建設です。またウランバートルの人口の3分の1に飲料水を提供することにチェコの企業が貢献しています。こういった事業で貿易量を以前の水準に到達したいと考えています。

J: 新しいミレニアム・チャレンジ・アカウント(MCA)がモンゴルで実施されています。 このMCAとチェコは何らかの関係がありますか?

ジリ・ブロドスキ: これについては、アメリカと話をする必要があるかもしれません。もちろん、チェコの企業が行ったことを活かすなどし、MCAに彼らを関与させることはできると思います。

J: 社会主義時代からチェコの灌漑、水処理、汚水管理システムが効率的であったことには驚かされます。当時、モンゴルから視察に訪れた代表はみんな目を丸くしてどうしたらこれができるのか不思議に思っていました。非常に効率的だったに違いありません。将来的に開発できる他のセクターはありますか?

ジリ・ブロドスキ: 私たちは、世界のあらゆるセクターで“機会の地図”と呼ぶものを持っています。サイズが大きいので、USBメモリに入れて持ち運びます。これには、世界のすべてのセクターでのチェコ企業にとっての機会が記されています。

J: 外国からの直接投資を促進するのに非常に有用なものですね。2000年以前、私はその組織の責任者でした。それは、チェコ共和国に恩恵をもたらすことができるすべてのセクターを各国ごとに整理したものなのですね。

ジリ・ブロドスキ: その通りです。モンゴルを見ると、各セクターにおける機会は非常に幅広く、チェコ共和国が競争する上で優位に立てる分野が多くあります。これには、農業、鉱業、エネルギー、水処理、インフラ整備、民間航空、建築、防衛が含まれます。モンゴルの警察、国境警備隊、その他の国防組織は、チェスカズブロヨフカの火器をよく知っています。また保健セクターは、国立第一病院の建設、改築以来、私たちが関与してきた最も重要なセクターの一つです。700床の近代的な病院用ベッドがリネットというチェコ企業によってモンゴルに導入されました。こういった事業は今後も続けていきたいと思います。

J: 今言われた民間航空についてお聞きしたいと思います。これはどういうことですか?

ジリ・ブロドスキ: チェコ共和国は航空分野において強力な力を持っています。私たちは100年以上にわたって航空機を製造してきました。世界最大の空港からモジュラー空港、地方空港まで、世界中で様々な空港を建設する能力のあるチェコ企業があります。この企業はモンゴルの地方空港を開発し、国際空港に変えることに非常に興味を持っています。

J: あなたはモジュラー空港と言いました。これは空港の混雑を避けるために空港を拡張できることを意味するものですか?

ジリ・ブロドスキ: そうです。また、滑走路も1日で設定できます。すぐに使用できる非常に柔軟なソリューションを提供します。

J: 航空に関する最後の質問です。商業的に実行可能なプロジェクトはありますか。モンゴルは広大な土地を持っています。モンゴルの将来は、民間航空なしには想像できません。 多目的航空機というのがあります。たとえば、緊急時に使用される航空機などです。これについて何かありますか。考えられるプロジェクトとか?

ジリ・ブロドスキ: はい、既存のプロジェクトがあります。民間航空局と提携して、パイロット・ライセンス・システムを導入し、地域の民間航空セクターを開発します。これは既存の国際空港を効率的に運用するものです。既存の国際空港は役割が変わりますが、それをすぐにトレーニング用に使うことができます。

J: 話し合う内容が非常に多い中、限られた時間でもたくさんの話題に触れることができました。今年は外交樹立70周年ですが、30年後の100周年に、誰かがここに座って、もっとハイレベルな協力関係について話し合うでしょう。あなたはとても熱心に仕事に取り組んでいると存じます。大使館も拡張されました。これでモンゴル人が寒い路上で外に並ぶ必要がなくなり、快適にビザを申請することができるようになりました。両国の距離を縮め、チェコ共和国に住むモンゴル人に快適な環境を与えていただき、誠にありがとうございます。

ジリ・ブロドスキ: ありがとうございました。

ジリ・ブロドスキ * ジャルガルサイハン