ビクター・ルテンコ氏は、国際移住機関(IOM)の駐モンゴル事務所でプログラムマネージャーを務めており、開発プログラムを作成、管理、実施、監査、評価するという5分野で15年の経験があり、主に移住問題に取り組んできました。英語、ロシア語、イタリア語、ルーマニア語を話し、ハーバード・ケネディスクール、モルドバ国立大学で修士号を取得。フルブライト・ハンフリー奨学金を受けてミネソタ大学を卒業しました。またルテンコ氏は、モルドバの2名の歴代首相の社会・開発政策顧問を務め、モルドバ共和国内閣による外国移住のモルドバ国民を支援し、「母国への貢献を拡大するディアスポラ関係庁」を設立し管理者となりました。モルドバで最も影響力のあるシンクタンクの1つ、欧州政策改革研究所の創設者の一人でもあります。

ジャルガルサイハン: あなたのモンゴルでの業務について話したいと思います。モンゴルの国内移住問題について調査が終わり、新しいプログラムが始まると理解しています。このプログラムについて教えてください。

ビクター・ルテンコ: 私たちは主にモンゴル国内での移住の困難を減らすことに集中しています。具体的に3つの側面から取り組んでいます。まず、政府が国内移住に関するより良いデータを収集できるように協力しています。なぜなら、モンゴルでは住民登録をしていない人たちが少なからずいます。住民登録をしていないため、公共サービスを受けることができないことがあります。次に、政府の政策を改善することに協力しています。モンゴルの開発計画、社会福祉、教育政策に県から他の県、また地方からウランバートル市に移住する国民について含まれることを目的としています。最後に、移民への直接援助です。情報サービス、地方レベルでの公共サービスの提供を行います。そのため公務員のトレーニングに力を入れています。ウランバートル市では、ホローの公務員、地方では郡とバグの公務員をトレーニングしています。NGOとも協力しています。現在の移民だけでなく将来の移民への社会心理的支援の提供機会を広げるためです。

ジャルガルサイハン: これはウランバートル市が直面している最も深刻な問題です。あなたたちが出した報告書によると、2020年だけで3万9千人が地方からウランバートル市に移住してきたとありました。3万人〜4万人が地方から首都へ移住するというこの傾向は、この10年〜20年続いてきました。これはもっと前に解決すべきだった問題だと思いますが。

ビクター・ルテンコ: 全く同感です。

ジャルガルサイハン: 問題解決を怠ってきたことで、どのような状況を招いていると思いますか?

ビクター・ルテンコ: 移住、特に国内移住はモンゴルの伝統、文化と関連していると思います。昔から誰もが移動するので、移住が日常だったと言えます。しかし、市場経済へ移行した後の移住は少しずつその意味合いを変えてきました。人的資本、人的可能性との関連で労働市場が重要度を増し、労働市場では移住がとても重要な事項になってきました。この問題は早くから解決されるべきだったのは言うまでもありません。これを放置しておくと首都への移住は増加し続けます。しかしこの移住が必ずしも経済発展に役立つとは限りません。ですから、移住についてきちんと理解し、計画し、国内市場ともうまく整合できるように管理する必要があります。政府が国内移住問題に真剣に取り組まなければなりません。例えば、労働市場では能力のある人材だけを育成するわけではありません。様々な大学や学校が国の経済構成、労働市場に合った人的資本を育成します。そのシステムは柔軟性を有しなければなりません。その分野で必要な人材を随時育成する必要がありますが、海外や国内の市場の変化に応じて労働者がある分野から他の分野に移転することができるようにしなければなりません。それから、地方も発展させなければなりません。人のスキルのみで移動を考えるのではなく、地理的可動性も考慮に入れなくてはなりません。ある地方に工場が建ったら、人々がそこに集まると考えてはなりません。適切な人、仕事の要求を満たせる人、適切な年齢の人が移住するかを考えなければなりません。工場があるから人が住み続けるというわけではありません。計算された国内移住は、地方の開発、発展の重要な要素だと思います。

ジャルガルサイハン: 制度改正による問題はありますか。私たちは計画経済から自由市場経済に移行しました。以前は、何を作り、何を開発するかを国が決めていました。今は民間部門が需給に応じて決めます。そこでビジネスの実現可能性の問題が出てきます。地方でもビジネスをしなければなりません。特にモンゴルは国土が広く、遠い地方都市もあります。地方はどのように発展させるべきですか。どのようにしたら地方の人が快適に住める都市をつくれますか。あなたは地方の発展に関するモンゴル政府の政策を研究したことがありますか。もちろんある程度やっている組織もありますが、まだ出来が良くないのではないかと思うことがあります。

ビクター・ルテンコ: 私たちがまず取り組んだことがその問題です。今は国家開発庁と協力して仕事を進めています。国家開発庁の開発ビジョンに国内の移住予測も含めるというので共同作業をしています。次の10年、20年の開発政策において、どの地方に集中すべきかを考えます。あなたが言った通り、モンゴルは広い国土を有していますが、資本は少ないです。ですから、何を優先させ、どこに予算を投下するか、人的資本投資をするかを考えなければなりません。その地域が外部の住民にどうアピールできるか、その地域をどことするかを考えます。もう一つ私たちが取り組んでいるアプローチは、国際移住の際の原則や経験を国内移住に応用するというものです。モンゴルは国土が広いため、県で成り立つ国土がEUと同じような構成と見ることができます。ですから、県と県の協力関係や労働者の移動などに、EUなど海外の国際移住の原則、経験を活かすのです。例えば、ウムヌゴビ県には鉱山開発の見込みがあります。何のルールもなければどうなりますか。あちらこちらから人が来て、仕事を見つけようとします。私がスフバートル県に行った時、セレンゲでは収穫時の労働力が足りないという話を聞きました。みんなウムヌゴビ県に行ってしまったからです。ですから、今度は収穫期に労働力を近くのウブス県、ホブド県、フブスグル県から移動させて来なくてはなりません。移住をシステム化できていないから、モンゴルにとって戦略的な分野でも労働者不足を招くような流動が起こっています。

ジャルガルサイハン: それが、今回政府が始めた1年間のプログラムの目的でもあったと思います。どこでどういう労働者が必要か、給料がいくらか、どれくらいの期間働くか、移住する必要があるかどうかなど、情報を集めたデータベースを作っていると理解したのですが、どうですか?

ビクター・ルテンコ: それはスタートです。今は移動の際に必要な費用、移住する世帯への支援など、情報を全て確認できるようにしたいと考え仕事を進めています。それと同時に政府と共同であなたが今おっしゃったことをやっています。これらが合わさり、移住を組織化でき、個人及び国の経済発展に役立ちます。

ジャルガルサイハン: モンゴル西部の県は、どのシーズンにもっと収入を上げることができるかという情報を、いつ、どこで手に入れることができるようになりますか。ウェブサイトなどで分かりますか?

ビクター・ルテンコ: 今は作業中なので、政府が私たちのサポートを受け実行している特定のプログラムがあり、それが国民の移住に関する情報を提供しているとは言えません。まだ途上です。しかし、だからと言ってみんなにそこで大人しく待っていてくださいとは言えません。彼らには移住を余儀なくされる経済的なプレッシャーがあります。ですから、今私たちが発信している主なメッセージは、移動する前にやらなければいけないことは情報収集だということです。今日ここにいて、明日出ていくというような安易な判断は避けるべきです。こういうケースは実に多く見られます。それは彼らが所得を増やし経済に貢献するというものではなく、更に貧困になります。一つのハシャー(庭)に3つの家庭がひしめき、子供が様々な問題に直面するリスクを冒します。安易に決めた移住が結果的に、大気汚染、渋滞などの問題を作ってしまい、個人的にも社会的にも様々な不便をもたらします。ですから、より良い情報を持つ政策に打ち込むためのグラウンドゼロを考えています。

ジャルガルサイハン: 年々、ウランバートル市への移住が増え、都市開発の計画に入っていない場所でゲル地区を広げています。この問題にはモンゴルのどの省庁が関係していますか。

ビクター・ルテンコ: 私たち国際移住機関が協力している政府機関は、ウランバートル市役所、労働・社会保障省、国家登録局です。その他もありますが、主にこの3つです。あなたがおっしゃる問題はその通りなのですが、そういった移住は5年くらい前の状態です。ウランバートル市の移住者受け入れキャパシティが年々減少していることをあなたも実感していると思います。ゲル地区がここ20年、新たな土地に拡大し続けているかというと、そうでもありません。今は現状のゲル地区の中に人が流入しています。既にあるハシャーの中に移住して来るのです。それは移住したばかりの時だけという場合もあります。私たちが観察する限りでは、新しく建設された集合住宅に引っ越して来るのは、ゲル地区に住む人々ではなく、地方から新しく移住して来る人たちです。それから、ウランバートル市に移住して来る人々の年齢層は若年化しています。高校を卒業して大学に進学するなり、就職するなりをしますが、それを機にウランバートル市に移住してきます。ただ、そういった場合はゲル地区ではなく集合住宅に移住してきます。

ジャルガルサイハン: そういう変化を受けて、政府が提案する政策とは何ですか。データベースを作成していることは分かります。例えば、大学をウランバートル市から移転させると言われています。これはきちんとした調査に基づくものなのか、それとも単なる政治判断なのか分かりませんが、あなたたちの立場はどうですか?

ビクター・ルテンコ: 私たちはモンゴル国民のために政府と共同で仕事をしています。あなたたち国民が政府を選び、選ばれた人々と私たちが協力して仕事をしています。ただ、政府に対して私たちが一番に伝えたいメッセージは、新しいアイデアを提供してくれるのは良いのですが、そのための調査や証拠、実行のための研究に私たちを使ってくださいということです。大学をウランバートル市から郊外へ移転させるというアイデアを聞いて、私たちは教育大臣を訪問し、協力したいと申し出ました。計画段階から協力したいと言いました。どれくらいの学生が大学の移転に伴い地方へ移住するのか、どれくらいが他の大学に編入してウランバートル市に残るのか、学生とどうやってコミュニケーションをとるか、どうやって学ぶ場所を変えるように彼らを動機付けるか、ダルハンやその他の場所を移住先とした場合、その地域において住宅の家賃相場にどういう影響を及ぼすか、その影響をどうしたら良い方向に持っていけるかなど様々な問題があります。大学の移転というのは、社会に大きな影響を及ぼしますからね。

ジャルガルサイハン: それを今、誰かやっていますか?

ビクター・ルテンコ: これは全く新しいアイデアでもありません。前から色々試されてきました。しかし、より効率的にすることもできるかと思います。ここにいる人たちを移動させようという理想的な話よりも、もっと充実した政策に移すべきです。それに関して私たちが協力することはいつでも歓迎すると言っています。今、話し合われている新しい政策があります。逆移住です。ウランバートル市から地方への移住です。これに関しても協力したい旨を政府に伝えています。しかしながら、これは世界的に見ても、よくあることではありません。モンゴルでこれからやることは、世界でもレアなケースとなります。

ジャルガルサイハン: 国際移住機関はいつ設立されましたか?

ビクター・ルテンコ: モンゴルでは10年前です。今年10周年を迎えます。世界では設立されてから70年です。

ジャルガルサイハン: モンゴルは経済の多様化を図り、ウランバートル市周辺に副都心を作ろうとしています。新しい空港、新しい鉄道、マイダル市など、ウランバートル市も開発の新しい段階に移行していると思います。これらを総合的にみて、モンゴルの国内移住政策に大きな変化は見られますか?

ビクター・ルテンコ: もちろん見られます。これらのプロジェクト、特にメガプロジェクトはウランバートル市以外の地域で実施されています。これは国内移住に対して大きな影響を及ぼします。しかし、私たちが伝えたいことは、これらのプロジェクトを実施したから人々がそれに応じて移住すると考えてはいけません。どうしたら人々の移住をモチベートできるかをプロジェクトの一部として考えなければなりません。都市を作るのであれば、インフラ整備、人々の移住動機をまず考えなければなりません。そうして初めて組織化された移住ができます。そうして初めて国内移住が都市計画の一部となって管理された形で実現されます。経済発展の一部として考えなければなりません。政府もこれに対する理解を示すようになってきました。政府と共同で現在のサプライチェーンに関して、将来のサプライチェーンに関して作業をしている国際機関は多くあります。国内生産に可能な限りの付加価値をつけて、ビジネスマンがより稼げるようにし、彼らが国の経済を支えるようにするためです。その際に重要な要素は人的資本、労働者です。ですから、移住問題は困難な問題を解決するだけでなく、それ以上に大きなプロジェクトを実施する上で必要な要素となってきます。

ジャルガルサイハン: 移住に関するもう一つの問題を取り上げたいと思います。移動の自由が保障されてから、多くのモンゴル人が外国に渡りました。今も韓国、アメリカ、ヨーロッパ諸国で多くのモンゴル人が住んでいます。あなたは母国であるモルドバで、外国移住のモルドバ国民を支援し、「母国への貢献を拡大するディアスポラ関係庁」を設立しました。現在、外国に移住している20万人のモンゴル人は、毎日80万〜100万ドルを母国に送金しています。家族の購買力を上げることで国の経済に貢献しています。これに関して、あなたの経験からすると私たちは何をすべきですか?

ビクター・ルテンコ: この問題に関して去年の9月に世銀から出された『マインズ&マインド』報告書を引用したいと思います。報告によると、私たちは人的資本に集中すべきであるとありました。それから、外国に移住しているモンゴル人の人的資本を使うべきだということに触れていました。これは海外のモンゴル人を帰国させようという意味ではありません。なぜならこれはモンゴル固有の問題ではないからです。どこでもある問題です。そして、実は外国にいるからこそ、国にいるよりも国の発展に貢献できる場合があります。彼らの職業、給料、知識、所属する大学や企業などに起因します。ただ国に帰ってくることを訴えるのは効率的ではありません。その代わり彼らとの連絡網を作って、モンゴル政府が彼らを助け、彼らがモンゴル国を助けるのです。そういう必要性はあります。コロナ禍でも見られました。ですから、この二つの双方向のラインをどうやって構築するかが問題です。必ず国全体や政府である必要はありません。その人たちの出身地である群、県に貢献する形で十分です。ただそれをするためには、中央機関が必要です。移住は単に社会的、経済的、教育的問題ではありません。それら全部が合わさって生まれる問題です。ですから、中央機関が必要なのです。

ジャルガルサイハン: 外国にいるモンゴル人は、モンゴルの社会的負担を負わず、自分たちで管理します。それから家族にはお金を送ります。経済的にはバランスが取れていると思いますが。

ビクター・ルテンコ: 経済的には外国にいるモンゴル人は、モンゴルの経済にとって常に重要な部分であり続けてきました。2019年の送金額を見ても5億ドル以上の送金を受けています。言ってみれば、モンゴルは金を採掘して得るお金よりも大きな金額を外国にいるモンゴル人から受けています。外国に移住するモンゴル人は、金よりも国にとっては価値があるのです。

ジャルガルサイハン: その通りですね。

ビクター・ルテンコ: これは誰でもすぐにできることではありません。海外にいる彼らは、仕事のために自分の時間、労力を費やしてきました。そう簡単には帰って来られません。また帰国後の生活に確実性がないこと、コロナ感染時には外国に住む国民に対しての政府の措置が不十分だったことなども要因に挙げられます。ただ私たちに言わせれば、私たちは外務省と協力し、800人の帰国を援助しました。私たちは外務省と領事館と協力して問題に当たりました。今までの経験上、彼らのような熱心で、有能な人材を見たことがありませんでした。ですから、彼らの仕事は評価されるべきだと思います。彼らは特殊な条件の下で仕事をしました。コロナ禍やロックダウンという状態です。この仕事をより良くできたかというと、イエスです。何年後かに同じ事態が起きたら、今回の経験を活かしてさらに良くできるでしょう。ですが、今年は誰にとっても新しいものであったのです。

ジャルガルサイハン: COVID-19は、今までできなかったようなチャレンジと経験をくれました。移住の分野ではどういう教訓を与えましたか?

ビクター・ルテンコ: とても良い質問です。まず、国内にいるモンゴル人に、外国に同胞が多く移住しているということを思い出させた出来事であったと思います。以前は、外国にモンゴル人がいるという事実は知っていたが、あまり意識することはなかったように思います。COVID-19は、外国移住のモンゴル人の問題を全く別のレベルに持っていきました。政府も彼らに対してもっと投資しよう、もっと保護しようとしています。また、E-Mongoliaで多くの公共サービスをオンラインで受けられるようになりました。デジタル署名などもそうです。これをもっと改善し、外国移住のモンゴル人が国の発展に貢献できる形を多様化していくべきです。スタートアップ企業を応援する投資家、政府の顧問、科学コミュニティなどです。それから、COVID-19はゲル地区の深刻な状態にある社会の一部を明らかにしました。住民登録がされておらず、政府が把握していない人たちです。市役所にも見えぬ人たちです。11月11日のロックダウン後、私たちはウランバートル市、ダルハン市、エルデネト市の住民を助ける仕事をしました。そうすることによって、私たちの仕事を必要とする人たちがいることを地方の行政機関にも分かってもらえました。ですから、COVID-19は社会福祉、社会保障の分野にとって重要なシグナルを与えたと思います。そしてこれが、これからの政府の対応プログラム、10兆プログラムにも含まれていると理解しています。

ジャルガルサイハン: ありがとうございます。これをインタビューのエンドノートにしたいと思います。これらの挑戦と教訓を受けて、最終的にはより良い政策、より良い実施をしていかなければなりません。あなたの仕事はモンゴル国の発展にとって大きな貢献となっていると確信しています。

ビクター・ルテンコ * ジャルガルサイハン