J(ジャルガルサイハン): こんにちは。今年はモンゴル・キューバ両国の外交において非常に重要な年です。ラテン・アメリカの国の中で、初めてモンゴルと外交を樹立したのがキューバ共和国でした。それから60年が経ちます。今の両国間の政治及び経済関係の状況を聞かせてください。両国の関係のレベルは、またこれから改善すべきものは何でしょうか?
ラウル・デルガド・コンセプション: こんにちは。まず番組に招待して頂きありがとうございます。あなたのジャーナリズムにおけるアプローチは革新的であり、市民、特にモンゴル在住の外国人や在モンゴルの外国大使館へモンゴルの現状を伝える活動をしているあなた方チームに感謝しています。キューバはラテンアメリカだけでなく、アメリカ大陸の国々の中で初めてモンゴルと外交関係を結びました。1960年12月7日のことです。60年前の通信や通運のスピードは今と比べてかなり遅かったわけです。しかし、ここで重要なのは16,000キロ離れていて、12時間の時差があるにも関わらず、外交関係を築きたいという強い意志があったということです。私たちの歴史や国の独立に至った経緯は大いに異なりますが、それぞれ調べてみると、類似することも多いことが分かります。キューバはモンゴルと比べて、とても若い国です。私たちの歴史は、1492年にクリストファー・コロンブスがアメリカ大陸を発見したことから始まります。コロンブスが1492年10月12日にアメリカ大陸を発見した時、彼が一番先に足を入れたのが今のキューバです。今、キューバは世界でも主要国の一つとなっています。政治だけでなく、経済、スポーツ、文化など、多くの分野においてです。モンゴルは何千年の偉大な歴史があります。地理的にも非常に特徴のあるこの地域に住んできました。キューバにとって、モンゴルと外交関係を結ぶことはとても名誉なことでした。60年はあっという間に過ぎたかもしれませんが、両国の友好関係を深めるには十分に長い期間でもありました。私はこの友好関係が今日まで続いてきたことをふまえ、ここにいることをとても誇らしく思っています。
J: この記念すべき日は国家間だけでなく、両国民同士の賜物かと思います。40年前から何百人もの学生がキューバの支援で留学しています。キューバ帰国留学生の会はモンゴルに小さなキューバを作っているほどです。あなた方のおかげで、彼らは今、医療分野で活躍しています。国家間では、例えばツェデンバル、エルベグドルジ元大統領がキューバを訪問しました。私が聞いた限りでは、キューバ共和国大統領と外務大臣をモンゴルに招請しています。訪問はいつ頃になりますか?
ラウル・デルガド・コンセプション: 私たちはモンゴル外務省と共同で60周年を記念する行事を計画しています。しかし、新型コロナウイルスの影響が両国を困難な状況に置いています。もちろん、これはキューバとモンゴルだけの問題ではなく、世界中の問題となっています。キューバとモンゴルは、ハイレベルな訪問が長く続いてきました。ツェデンバル氏はキューバに1976年、1978年の2回訪問しました。ラウル・カストロも1970年5月にモンゴルを訪問しました。今日まで多くの外務大臣や国会議員がキューバを訪問しました。あなたが言ったように当時大統領であったエルベグドルジ氏も2016年に訪問されました。国交樹立60周年にあたる今年は、モンゴル政府がキューバ大統領や外務大臣をモンゴルに招待されています。私たちはこの新型コロナウイルスによる状況が早く終息し、記念祝賀行事を実施できることを期待しています。特に今年、キューバはアジアの14カ国と記念行事が予定されており、各国を訪問したいと考えています。ですから、この困難な状況が早く終わることを願っています。
J: キューバ帰国留学生の会について聞かせてください。彼らとは頻繁に会われていますか?
ラウル・デルガド・コンセプション: 私たちは彼らの存在をとても誇らしく思っています。あなたが言ったように、このプログラムが始まってから170人の学生がキューバに留学し、卒業しています。ここで一つ重要なことを言うと、キューバはこの協力を176国と実施しています。現在、1万9千人の学生が無償でキューバに留学しています。キューバが奨学金を提供している目的は、キューバで学んだ学生が帰国した後、その国の発展に貢献してもらうことです。特に、私たちはモンゴルからの留学生をとても誇りに思っています。彼らはとても熱心で、優秀な成績を修めて卒業していきます。留学中には、私たち国民の一部になります。今は、19人のモンゴル人留学生がキューバで学んでいます。大半の留学生が医学を学んでいます。医学はキューバが世界的にも力を入れている分野の一つです。世界には薬が必要であり、医師が必要です。彼らが医学を勉強し、国に帰った後に医師になってくれることで、私たちの目標が達成されます。私たちはキューバ帰国留学生の会と定期的に連絡を取り合っています。彼らはモンゴルで「協会」を作っており、社会に貢献する多くの活動を積極的に行っています。彼らはとても優秀で、良い人たちです。
J: キューバとモンゴルは両国とも旧ソ連と近い関係にありました。ソ連は石油などをモンゴルやキューバへ提供していました。そしてそのシステムが1990年代に崩壊しました。私たちはそれまで一国一党主義でした。キューバは現在も一国一党主義のままです。私も1980年代後半にキューバにいました。フィデル・カストロと握手をするチャンスが与えられました。当時、私はまだ学生でした。私たちはナショナルホテルに宿泊し、人々にとても親切にしてもらいました。90年代に入り全てが動き始めましたが、キューバは一党主義を堅持しました。そういう視点から今のキューバの現状を見ると、どうですか?
ラウル・デルガド・コンセプション: 私たちはまず、キューバの歴史を理解する必要があります。以前どうだったか、今はどうなっているか。1959年当時、キューバはとても貧しい国でした。400万人の国民が飢え、人口の9割が文盲でした。13の大地主だけが国土の99%を所有していました。いくつかの大地主の名前を挙げることができますが、そのほとんどはあなたも知っている名前だと思います。なぜなら彼らは、今では世界中に知られている有名な財閥になっているからです。その一つは「エクソンモービル」です。
J: しかし、キューバには石油がありませんよね。なぜエクソンモービルが?
ラウル・デルガド・コンセプション: なぜなら、彼らはキューバに石油を販売していたからです。それから、ユナイテッド・フルーツ・カンパニーもそうです。19世紀、スペインの植民地化との長い戦いを終えたキューバは独立しようとしましたが、1900年にアメリカがその独立を阻みました。そして、彼らはいつでもキューバに入国できるという規定を憲法に定めさせました。キューバはとても困難な状況に置かれました。なぜなら、アメリカの大使が好きな時に、大統領を指名することが許されていたからです。その時から1959年までの間に2万人以上の若者が命を落としました。当時、キューバの独裁者は誰もが知るバティスタ元大統領でした。バティスタは1952年に大統領になりました。彼は2万人以上の若者を殺害しました。
J: 彼はどれくらいの間、権力者でしたか?
ラウル・デルガド・コンセプション: バティスタはそれ以前も大統領でした。二度大統領になった人物です。キューバは自然の美しい国ですが400万人が飢え、人口の9割が文盲で、死産数も1000の出産数のうち168でした。しかし、キューバ革命がこういった状況と人々の考え方を変えました。国家が握っていた権力を国民に取り戻しました。革命の第一は、土地を農民に返還することでした。それから、1961年に識字率向上が図られました。1962年には、全国民が読み書きできるようになっていました。その後も様々な成功を収めてきましたが、中でも健康、教育、スポーツ、文化、これらを無償で提供しました。これは人権として保障されるべき基本的なものです。アメリカのキューバに対する残酷な虐殺は今も続いています。このパンデミック時にも、アメリカはキューバにマスクや医療品を運搬する貨物船を停船させたりしています。ですから、独立した国として自らの道を歩もうとしたキューバに対するアメリカの行動がどれほど残酷なものであるかを想像してみてください。しかしながらキューバに住む人々はアメリカに対して憎悪を持ってはいません。120万近くのキューバ人がアメリカに住んでいます。彼らはアメリカ人と友好な関係を築いています。しかし、米国政府に対しては決して跪きません。私たちは自らの選択に対して大きな代償を支払いました。1961年4月8日、当時米国国務長官だったマロリーは、対キューバ封鎖の主旨の覚書を出しました。それは人々を経済的に困難な状況に追い込み、飢えさせ、独立した政府を倒すというものでした。人々の革命への反感を招き、キューバ政府を自分たちの都合のいいように変えるためです。これが封鎖の正体です。今現在も続いています。特に、国の経済を成長させるために行う様々な活動を妨害しています。
J: なぜならアメリカにとってキューバは一番近くて、一番大きな市場ですから?
ラウル・デルガド・コンセプション: その通りです。私たちは隣国ですが、この封鎖は国外でも適用されます。第三国がキューバと貿易を行う場合、アメリカはそれを阻止しようとします。これは事実です。最近の国連総会で、世界各国がアメリカのキューバに対する封鎖を取り消すべきことに賛同しています。アメリカとイスラエルだけが反対します。このように大まかですがキューバの歴史をみてから、あなたの質問に答えましょう。なぜ国民は一国一党主義を支持するのか。しばしばキューバについて誤った報道がなされますが、キューバの一党は団結、主権、国民の意志を表します。国民のために今までしてくれたこと、今もしてくれていることを考え、国民は共産党を支持しています。これは、私たち国民が選択した統治の仕方です。そして、私たちは世界各国が自ら選んだ統治の仕方を尊重しています。
J: あなたは団結と言いました。もし人々の一部が団結して政党を作り、共産党と競争しようとする場合、何がいけないのですか?
ラウル・デルガド・コンセプション: これは私たちの憲法に基づきます。今まで憲法改正が3回行われました。最後の憲法改正は国民の95%の支持を受けて成立しました。その憲法において、一国一党主義が採択されています。考え方を異にする人に対して何も反対することはありません。ただ、国民が統治のやり方として決めたのがこれです。
J: 同じことが今ベネズエラで起きています。私たちが発行する新聞でも取り上げたことがあります。ベネズエラは石油資源が最も豊な国ですが、人々は飢え、生活に困っています。キューバとベネズエラとの間には特別な関係などありますか?
ラウル・デルガド・コンセプション: はい、もちろんです。しかし、ベネズエラとキューバは国の歴史が全く異なります。ベネズエラは石油埋蔵量世界一の国です。ベネズエラもキューバがそうであったのと同じように、数少ない資本家が資源の90%、特に石油資源を所有しています。チャベスにより始まったベネズエラ政府が行っている革命は、その資源を国民のものにするという国民の意志です。現実は報道されているほど悪くありません。報道はベネズエラ政府がやっていることを全て悪に見せようとしています。しかし、政府が国民のために何をしてきたかを正しく見れば、マドゥロ政権は全国民の支持を受けていました。これは私の意見ではなく、国民が彼に投票したという事実です。誰かが否定したくても、事実を変えることはできません。これはあなたに限って言っているのではありません。メディア全体のことです。ベネズエラの石油資源に手を出したいと考えるアメリカについて話しています。アメリカ合衆国のポンペオ国務長官は何一つ恥じることなく、「アメリカはベネズエラの石油をコントロールすべきだ」と言い放ちました。これは一体どういうことなのか。事実は彼らが言っている通りではないということを理解すべきです。ベネズエラは今、大きな封鎖でとても苦しんでいます。アメリカはベネズエラ政府を封鎖しているのではありません。ベネズエラの人々に食料品や医薬品が届かないようにし、彼らを飢えさせようとしています。これは60年前にキューバに対して行ったのと同じことをベネズエラに対してやろうとしているのです。しかし、それは成功しません。なぜなら、彼らはラテンアメリカの人々のことを理解していないからです。私たちは600年以上、植民地にされていました。そして人々は目覚めました。もう十分です。私たちの土地であり、私たちの資源であり、私たちの国です。私は共産主義、社会主義等という体勢について話しているわけではありません。資源の分配は平等かつ入手可能であるべきだと言っています。誰かは知りませんが、少数の資本家がベネズエラの資源を独占しています。そして、3500万人が貧困生活を送っています。
J: 私はこの状況について、あなたの見解を聞きたいと思っていました。お話ができて、とても良いと思います。時間の限りもあるので、最後の質問をしたいと思います。キューバとモンゴル両国間の経済関係について話して頂けますか。両国はどのような貿易をすることができますか?
ラウル・デルガド・コンセプション: 1980年代初頭、貿易額はとても少ないものでした。キューバはモンゴルにアルコールとサトウキビを送っていました。それが当時の主な輸出製品でした。モンゴルはキューバに皮や肉など動物由来の製品を輸出していました。両国は低価格で少量の製品の貿易をしていました。ソ連が崩壊した後、貿易は中断しました。今は、キューバはモンゴルに糖尿病やガンなどの治療に使わる医薬品を輸出しています。この40年間、キューバはバイオテクノロジー及び医薬品製造分野を強化してきました。これはモンゴルと協力できる一つの道です。それから、文化やスポーツの分野でも協力しています。キューバはスポーツにも力を入れているので、この分野でも協力していくことが可能です。以前もキューバからモンゴルにスポーツトレーナーを派遣した実績があります。一方、モンゴルは鉱山開発に関しての経験が豊かです。残念ながら、キューバには大きな天然資源がありません。ニッケルや銅くらいです。ですが、モンゴルの経験をどうキューバに取り入れられるかを検討しています。
J: ではモンゴルが鉱山の探査や採掘ができますか?
ラウル・デルガド・コンセプション: それに関してキューバは歓迎します。キューバ鉱山開発への投資に関する情報を鉱業省に出しています。ただ商業的に一つ大きなマイナス要素があります。それは距離です。キューバはモンゴルからとても遠く離れているということです。
J: あなたは大使としてモンゴルにいます。キューバにはモンゴル人の大使がいます。相互に協力しながら活動されているかと思います。
ラウル・デルガド・コンセプション: もちろんです。モンゴルの大使は昨年2月13日に赴任されました。そして、キューバ政府関係者とミーティングもしています。非常に積極的な方で、共に仕事をすることを嬉しく思っています。
J: 両国の友好関係が60年という長期に渡り、続いていることは非常にありがたいことです。60年周期をモンゴルでは「ジャラン」といって、60年ごとにことが大きく変わると言います。そういった意味でも、あなたが今日番組に来てくれて色々意見を共有できたことに感謝します。何か決断をする時は、常に両側をみる必要があります。
ラウル・デルガド・コンセプション: 両国の関係はあなたが言ったように変わります。これからもっと団結し、もっと改善していきます。モンゴル全国民の幸運を常に祈っております。
ラウル・デルガド・コンセプション * ジャルガルサイハン