J(ジャルガルサイハン): こんにちは。
小林 弘之: こんにちは。本日は番組にご招待頂き、ありがとうございます。私が出演することで、この番組の視聴率がいつもより下がるのではないかと心配しています。(笑)
J: (笑)心配御無用です。2年後となる2022年には日本とモンゴル両国間の外交関係が樹立して50周年を迎えます。日本はモンゴルにとって重要な第三隣国です。あなたはモンゴルでモンゴル語を学び、アメリカにも留学し、日本の外務省の様々な部署に務めていた経験豊富な外交官です。日本モンゴル両国の外交関係樹立50周年記念は、あなたの大使在任中に行われます。この50周年を迎えて、これからどのような問題に焦点を当てるべきだと思われますか?
小林 弘之: とても重要な質問です。50年というのは実に長い期間だと思います。モンゴルと日本は1972年に外交関係を樹立しました。その後の25年間は、モンゴルは社会主義国でしたので、両国間の関係を発展させることが困難でした。1990年にモンゴルが民主主義と市場経済へ移行して以来、両国間の関係は急速に発展を遂げてきたと思います。最初の10年ほどは、日本からモンゴルに対して支援や援助を行っていました。しかし、これからは両国がパートナーとなり、補完的な協力関係の構築に集中する時が来たと思います。
J: 仰る通りです。今日までの両国の関係は、モンゴルにとって有益な関係でありました。日本は常に、時宜を得た援助をモンゴルに提供してきました。特にモンゴルの寒い冬には、日本の援助がとても役に立ちました。この20年間の両国の関係は、相互に有益で補完的なパートナーシップを形成するための非常に重要な助走期間となりました。ですからこれからの50年間で相互に有益な協力関係が築かれると思います。そこで、日本とモンゴルの両国が自由貿易協定・経済連携協定を締結してから数年が経ちます。この経済連携協定はどういう機能を果たすものでしょうか。そしてこの協定は両国の期待に応えられましたか?
小林 弘之: 一部のモンゴル人は、この日本−モンゴル間の経済連携協定が、モンゴルよりも日本にとって有利なものだと言います。なぜなら、日本からモンゴルへの輸出額は、モンゴルから日本への輸出額より多いからです。しかし、この経済連携協定締結が両国間の貿易を直ちに増加させることはありません。これはあくまで、お互いの市場に参加しやすくするための法的サポートなのです。その法的サポートを活かし、お互いの市場で販売できる製品を開発し生産するためには、両国の当事者の努力が重要です。今日、日本とモンゴルの友好関係は今までにないほど良好です。しかしながら、モンゴルの企業も日本の市場ニーズを掴み、販売できるモンゴル製品を見つける努力が大切です。
J: とても重要な指摘です。経済連携協定は貿易問題だけでなく、お互いの市場に参入するための法的アクセスを提供しています。だからこそ日本とモンゴル双方の努力が必要だと言われました。モンゴルの企業、民間セクターが日本の市場に参入する上で注意すべきことは何ですか。なぜモンゴルの企業は日本の市場に参入できていないのですか?
小林 弘之: 現在、モンゴルは主にカシミア製品といくつかの鉱業製品を日本に輸出しています。一方で、日本は自動車、鉱業用機械や設備をモンゴルに輸出しています。簡単なことではありませんが、モンゴル企業は、日本人がモンゴルからどのような製品を購入したいと思っているかを調査する必要があるでしょう。私自身は、モンゴルには日本市場で販売できる製品が数多くあると思っています。モンゴル企業は、日本市場でもニーズのある良質な製品を見つける必要があるだけです。例えば、モンゴルは家畜の飼育がとても優れています。モンゴルの遊牧民は、餌となる草を育て、家畜を育てるために化学物質などを使用していません。これは、モンゴルがオーガニックで健康的な家畜製品を外国へ輸出できる大きな可能性を持っていることを意味しています。今では健康に気を配る人が多くなってきています。ですから価格は高くても、身体に良いオーガニック製品のニーズが一定量あります。つまり、モンゴルは日本など海外へこれらの良質な製品を輸出できるチャンスがあるということです。
J: 例えば、食肉についてです。かつては、モンゴルは日本へ馬肉を大量に輸出していました。次いで羊肉も輸出されました。日本の市場へ輸出するために要求されることは何ですか?
小林 弘之: 家畜肉について、実はモンゴルからの馬肉の輸入に制限はありません。私の知っている限りでは、問題はモンゴル側の企業が定期的に馬肉を供給することができなかったことです。日本の企業にとっては、商品としての馬肉を定期的に供給されることがとても重要です。
J: 定期的な供給?
小林 弘之: そうです。定期的な供給です。
J: 製品としての量、継続的な供給に備えておくこと、これはいわゆるビジネスの規範の問題なのですね。
小林 弘之: そうです。
J: 食肉について話ましたが、それ以外にもモンゴルには乳製品などあります。
小林 弘之: 羊や牛肉など、他の種類の肉をモンゴルから日本へ輸入するには、一定の制限があります。なぜなら、モンゴルでは口蹄疫がしばしば流行します。日本は口蹄疫の発症が確認された国から食肉を輸入しません。
J: 世界的にみてもそうです。国は口蹄疫の問題を解決する必要があります。日本だけでなく、他の国々でもそれは輸出の条件となっています。
小林 弘之: そうです。輸出される食肉が口蹄疫に感染した動物のものではないことを証明することが重要です。したがって、食肉を輸出するには家畜をどのように管理するかという問題が出てきます。例えば、技術的な側面から言えば、家畜の体内にチップを埋め込み、家畜を管理することができます。
J: では日本企業がモンゴルに進出して来て、この分野に投資することは可能ですか。日本の農業分野は非常に高度に発達しています。
小林 弘之: その可能性はあります。モンゴルは家畜頭数が非常に多いので、外国の興味を引きつけます。
J: 人々が興味を持つもう一つのテーマがあります。モンゴルには60万台から70万台の自動車が走っています。その半数以上が日本車で、右ハンドルの自動車です。その日本車の半分以上が中古のトヨタ車プリウスです。プリウスは、大型のバッテリーを搭載しています。一部のモンゴル企業は、プリウスに搭載されていて劣化したバッテリーを日本へ輸出してリサイクルしようとしました。しかし中国とロシアは、すべてのバッテリーについて自国の領土を通過することを禁止しています。例えば、日本企業がモンゴルにバッテリーのリサイクル工場を建設し、劣化したバッテリーを処理し、それらを再利用可能な部品と廃棄物に分類する、こういったことが実現可能かを調査していますか?
小林 弘之: それはとても良いアイデアだと思います。一部の日本企業は、リサイクル工場の建設と使用済みバッテリーのリサイクル事業に関心を持っています。使用済みバッテリーからいくつかの再利用可能な素材を取り出すことができます。日本へ輸出するために中国とロシアの領土を経由することは不可能なため、この作業はモンゴル国内で行う必要があります。しかし、使用済みのバッテリーを分解し、取り出した素材をどのように利用するかが次の問題となるでしょう。再利用可能な素材を資源として海外に輸出することが最も簡単な方法かもしれません。逆にそれらの素材や資源を国内で利用したいといった場合、更に多くの投資が必要となり、それらの資源を販売する市場を見つける必要があります。
J: その点については市場調査を行う必要がありそうですね。鉱山開発については常日頃からよく話し合われるので、鉱山開発以外の分野について、可能な両国の協力関係について話したいと思います。例えば、教育の分野など非鉱業部門での両国の協力関係の今後をどうみていますか?
小林 弘之: 第二次世界大戦後、日本がどのように復興したかは既にご存じだと思いますが、日本は天然資源に乏しいので、主な資源といえば人的資本となります。人的資本への投資は、その国が保有している天然資源やその他の資源の質・量に関係なく、どの国にとっても非常に重要です。天然資源は時間の経過とともに枯渇するため、人材の確保が必要です。鉱業は日本にとって主要なセクターではありませんが、日本とモンゴルの両国がそれ以外の多くの分野で関係を築き、協力を発展させるチャンスは数多くあります。
J: その一つの分野が教育ですね?
小林 弘之: そうです。
J: 今まで何人のモンゴル人留学生が日本で学んできましたか。現在、何人の学生が留学していますか。あなたは教育業界の将来をどうみていますか。たとえば、教育のどの部門に最も見込みがあると思いますか?
小林 弘之: 日本の学校で学び、卒業したモンゴル人の総数を正確には言えませんが、非常に多いことは確かです。日本政府の奨学金だけで、毎年約200名のモンゴル人留学生を受け入れています。政府の奨学金以外にも留学生はいますので、人数は非常に多いわけです。
J: モンゴルの統計によると、日本には約1万人のモンゴル人が在住しており、その殆どがありがたいことに日本政府の奨学金を受けて、または私費の留学生です。モンゴル人留学生はとても速く言語を学ぶようです。この意味で、モンゴル人は日本の外国人労働者試験に合格することができると思います。新型コロナウイルス感染症がなければ、多くのモンゴル人が東京オリンピックに向けての建設現場や準備作業に加わることができたのではないかと思います。もちろんこの機会はまだ可能性があります。あなたが言った通り、教育と人間開発はどの国にとっても国を強くする最も重要な分野です。日本とモンゴル両国の観光分野でのこれからの協力関係についてどう考えているか、またそれに関連してウランバートル新空港について話したいと思います。この新空港はいつオープンしますか?
小林 弘之: 日本のコンソーシアムとモンゴル政府の間で締結された契約によると、ウランバートル新空港は7月1日にオープンすることとなっています。しかし、モンゴル政府が新型コロナウイルス感染症から国民を保護するために出された緊急事態により、しばしばウランバートルから他県へ繋がる交通を遮断する場合があります。すると、新空港の従業員の多くはウランバートル市内に住んでいるので、仕事のために新空港のあるトゥブ県まで行くことが出来なくなります。これはまだ小さな問題の1つです。また政府は国際線の定期航路の運航をすべて中止しました。新空港の開港準備を完了させるためには外国から様々な設備を輸入する必要がありますが、それを空輸することができない状況です。新空港の設備については、まだ陸路での輸送は可能でしょう。しかし、最先端の機器を導入しても、それを空港に設置し、モンゴル人スタッフが使用できるように訓練するには専門家が必要になります。現時点では、設備を輸入したり、専門家を海外から招へいしたりすることはできません。
J: ということは、ターミナルなど建物の建設や空港までの道路建設の準備は整っていますが、予定どおりにオープンするには困難があるということですね。新空港が建設されることで日本からの観光客の増加が見込まれ、日本の航空会社が定期便を運航することが期待されています。これについてあなたはどう思いますか?
小林 弘之: 空港というのは、外国人観光客の誘致に重要な役割を果たします。なぜなら、モンゴルを訪れる外国人観光客が到着して最初に受けるのが空港のサービスだからです。個人的には、新空港が日本企業によって運営されることを大変誇りに思っており、世界に通用するサービスを提供できると確信しています。これは、モンゴルに外国人観光客を引き付けるのに役立つはずです。さらに、新空港にはかなり長く滑らかな滑走路があります。それに対して現在のチンギスハーン国際空港の滑走路は傾斜し、延長線上には山岳地があるため、常に北西側からの離着陸となっています。新空港は、滑走路がフラットなため、風向が変わっても離着陸の方向を変えることができるので、安全性が高まります。
J: また、モンゴルは国内線の定期航路を改善し、航空インフラを整備する必要があると思います。そうすることで、観光客はこの広い国土を移動するためだけに長い時間を費やす必要が無くなるからです。両国間の観光分野の急速な発展に向けて、既に準備を始めたことがあると聞いています。
小林 弘之: 観光客を呼び込むという意味では、来年の東京オリンピックは大きなチャンスとなるでしょう。日本とモンゴルの間は飛行機でたったの5時間なので、日本を訪れた観光客が、直接モンゴルを訪れることができます。
J: このように外交関係樹立50周年の前に観光業やその他の業界で新たな協力関係発展の波が始まるかもしれません。特に経済連携協定の下で市場が開かれている今、モンゴルは日本の需要について学ぶ機会があります。続いては大使であるあなた自身について質問したいと思います。あなたは以前、モンゴルで働いていたので新旧のシステムを比較することができます。あなたの考えでは、モンゴルの社会はどのように変わったと言えますか?
小林 弘之: 正直に言うと、人が変わることはそう簡単ではありません。私の観察では、モンゴル人の性格はそれほど変わっていません。しかし、社会のシステムが社会主義から民主主義、自由市場経済へと移行しました。同じ人が異なる社会制度の下で、どのように振舞うのかを見ることは非常に興味深いところです。
J: 新しいシステムは、富と市場に対するモンゴル人の認識と態度を徐々に変えています。自由市場が、モンゴル国内では経験のなかった私有財産を認めるきっかけとなりました。反対に、あなたの国では大小に関わらず、私有財産が常に保護されてきました。新しいシステムの中で、新しいツールを使ってどのように生きるか、そのアプローチ、仕方がすぐに見つかることを願っています。インディアナ大学のハンギン・ゴンボジャブ教授はあなたの教師であり、あなたはモンゴルでも優秀な先生からモンゴル語を学びました。モンゴル語を学習する日本人へは、どのような学習上のアドバイスをしますか?
小林 弘之: 私は日本の大学の法学部を卒業した後、外務省に入省するまでモンゴル語を勉強したことがありませんでした。しかし、外務省に入省した後、モンゴルの専門家になることを指示され、初めてモンゴル語に出会いました。実のところ最初は本当にショックでした。 キリル文字などは見たことがなかったので、キリル文字に慣れることが最初の大きな難関でした。一方で、モンゴル語と日本語の文法はとても似ています。そこが他の言語と比べて学習しやすかったので、モンゴル語を学び続けることに意欲を失うことはなかったと思います。ただ、日本語には5つの母音があるのに対し、モンゴル語には7つの母音があります。ですから新しい母音を発音することに関しては非常に大変でした。
J: あなたはキャリア外交官です。今も大使という高い地位に就いています。日本の外務省に入省してから何年ほどで大使になられましたか?
小林 弘之: 難しい質問ですが、55歳から56歳の間に大使に任命される人もいますが、日本の外務省の今の慣行では、通常60歳くらいで大使に任命されます。モンゴルの大使と比べるとかなりの年寄りになりますね。
J: モンゴルには30代の大使もいます。これはある意味笑い話ではありますが、よくよく考えてみると笑うようなことではありません。なぜなら、その国の大使になる人物には外交分野での経験、高度な専門性を身につけておく必要があるからです。日本では、外交官に継続的に再訓練を受ける義務を課したり、あるいは外交官を訓練する特別な機関などを設置することがありますか?
小林 弘之: 私は比較的古い職員ですが、私たちの時代には様々な訓練が職務執行のために行われました。外務省入省後、約3か月間、日本の外交学校で集中的に研修を受けました。もちろんこれは入門コースであり、長期間の教育制度ではありません。ここでは外交とは何かについて初歩的なことを教えられます。
J: 外務省の下に、外交学校があるということですか?
小林 弘之: そうです。しかし、これはいわゆる大学などではありません。短期間の集中研修を受ける機関です。ですから主な学習は仕事をしながら並行して続けていくことになります。
J: キャリアアップや外国に派遣される際、再びその訓練を受ける必要はありますか?
小林 弘之: その必要はありません。現在、外務省には6000人以上の外交官が働いています。その約1000人は他の省や民間部門から来ています。他の省や民間部門から新しい外交官が来る場合、私たちは彼らに外交学校で学ぶことを要請することができます。
J: それはどのくらいの期間ですか?
小林 弘之: 1年ほどになります。しかし、これは毎日通うような学校ではありません。1年間で外交の準備トレーニングを受けます。
J: 今日は非常に興味深い問題について、日本とモンゴルという両方の国の観点から話し合いました。この番組を見た人々は、両国の関係についてより良く理解できたのではないかと思います。2年後、50周年を迎える両国の外交関係は、モンゴルにとって非常に重要です。今日はどうもありがとうございました。あなたと日本の国民の幸運と外交樹立50周年記念の成功を祈っています。
小林 弘之: 人気のテレビ番組に参加でき光栄です。日本はモンゴルの第三の隣国であり、日本とモンゴルは戦略的パートナーです。しかし最も重要なことは、私たちがお互いをどれだけよく知っているかです。お互いをより良く知るための最も良い方法は、ビジネスの関係を拡大することです。ビジネス交流とは、人々が互いに交流することを意味します。対人関係は私たちの将来の関係に不可欠です。私はいつまで大使でいられるかは分かりませんが、モンゴルに赴任している間は両国の市民がお互いをより良く知ることができるように、両国間の経済および貿易関係の改善のために努力していくつもりです。今日はありがとうございました。
小林 弘之 * ジャルガルサイハン