裁判所は公平に機能するのか

ここ一ヶ月間に行われた主な裁判について話したいと思う。まず、モンゴルの大規模プロジェクトとなるオユトルゴイやタバントルゴイの鉱山開発プロジェクトに関係する汚職事件の裁判が行われた。

元首相J.エルデネバトに懲役6年、元首相M.エンフサイハンに懲役4年6ヶ月、元財務大臣S.バヤルツォグトに懲役10年と財産差し押さえ、元首相S.バヤルに懲役5年、エルデネス・オユトルゴイ社の元社長D.ガンボルド、エルデネス・モンゴル社の元社長B.ビャンバサイハンにそれぞれ懲役4年、元国税庁長官B.アリオンサンに懲役1年6ヶ月の判決がそれぞれ言い渡された。この裁判は国政選挙時に行われた。

彼らに対する判決の根拠は、刑事法(2015年)18条6項「マネー・ロンダリング」、19条6項「破壊行為」、22条1項「権力、職権濫用」、22条10項「不正に財を成す」、刑事法(2002年)第262条「公務員職権濫用罪」である。またD.ガンボルド、B.ビャンバサイハン、B.アリオンサンの3人に対しては脱税の罪もあるという。

また、中小企業開発基金から低金利融資を受けた元国会議員G.ソルタンに懲役3年、元国会議員B.バトゾリグは罪を認めたため4,000万トゥグルグの罰金、元国会議員B.オンダルマーに懲役2年6ヶ月とそれぞれ判決が下った。中小企業開発基金の不正融資事件に関しては、今回判決を受けた議員の他に関与している現職の国会議員が数人いる。

この2つの事件の裁判から何が見えてくるだろうか?

まず、裁判が政治化しているのかという疑問が浮かんでくる。なぜならば、この2つの事件に関する裁判は、捜査中を理由に何年も止まったままだった。それが、総選挙が行われる今年になり突如審理が再開され判決が言い渡された。そのため、人々はこの裁判が政治利用されているのではないかと見ている。このように疑問視するもう1つの理由は、選挙期間中に国会議員L.オユンエルデネをはじめとする一部議員が、エルデネト鉱業の株式49%を不正に税金を使い取得した人たちの責任を追求するとしきりに喧伝していたが、選挙が終わった途端に黙り込み、誰もこのことに触れなくなった。こういった選挙用のリップサービスから、裁判所は誰のために機能しているのか?裁判に公平性はあるのかという疑問を国民が抱いている。

次にこれらの裁判が公平に行われたのかという疑問が出て来ている。判決を受けた人たちの中で、特にM.エンフサイハン、B.ビャンバサイハン、D.ガンボルドの3人に対する判決が特に注意を引いている。彼らは国会もしくは首相からの命令をうけ動いただけである。国民の間では、彼らの容疑や逮捕理由について明確にしなければ、非常に不透明で本質が見えてこないという声が上がっている。

また、政府の命令に背いた場合はどうなるのか、もしくは命令を実行したらどうなるのかという疑問がある。今回のように、政府の職務を遂行したら最終的に刑務所に行くようになるのなら、誰がそのポジションを引き継ごうと思うのか?

第3に、彼らがどのような役職に付き、何をしてきたかを国民は知っている。ここから1つわかることは、腐敗というものがモンゴルのガバナンス全体に浸透しているということである。政治家の権限や政府機関の役職を悪用し財を成したならば、相応の処罰を受けるのは当然なことである。しかし、彼らの中に公共の財産を横領した者もいるが、誠実に責務を果たした者もいる。だから、私たちは慎重にそれを区別して見なければならない。

もう1つの疑問は、国会はいつから犯罪者が逃げ込む場と成り下がったのかということである。今回の中小企業開発基金の不正融資事件の裁判では、落選し国会議員でなくなった人たちが処罰を受けている。しかし、同様に不正に関与しているにもかかわらず、現職国会議員は処罰を受けていない。そのため、裁判所はすべての人に公平に機能していないという結論に至っている。

貸出金利の引き下げの背景

8月17日に臨時国会が開かれ、貸出金利を引き下げる決議案が審議される。

現在、モンゴルには12の商業銀行が事業を行っており、2020年上半期には総額17兆トゥグルグの融資を行い、14兆5千億トゥグルグの預金がある。現在の貸出金利は16.3%、預金金利は10.7%である。

企業や個人への融資は何も商業銀行だけが行っているのではない。ノンバンク(非銀行系金融機関や質屋)も融資を行っている。貸出金利が高くなり過ぎ、消費者にとって不利益になると闇金とされる。そのため、多くの国で高金利対策法を施行している。

アメリカ合衆国全州に金融対策法が施行されている。例えば、アラバマ州では、書面契約による貸出金利は年率8%、非書面にて合意している場合は年率6%を超えてはならないという法律がある。融資に関して争いが起こった場合は、超過金利分を債務者に払い戻すようになっている。

日本では、10万円までの借金は年率20%、100万円までは年率18%、100万円以上の場合は年率15%を超えてはならないという法律がある。韓国では、貸出金利の最高限度は27.9%という規定がある。

モンゴルでは、商業銀行の貸出金利は年利20%以上、非銀行系金融機関の場合は30%以上、質屋は60%以上、個人間の貸し借りの場合は80%以上である。貸出金利が高いため、モンゴルの企業は融資を受けることができず、多くの企業は倒産に追い込まれ、失業した人たちは韓国などの外国に出稼ぎに行っている。

そもそも商業銀行は、貸出金利をどのようにして定めているのか。まず、貸出金利は財源となる預金金利を基準とされる。モンゴルの場合、これは先程話したように10.7%である。次に銀行の活動費用で、これは2.45%である。その次はリスクファンドで1.65%ある。モンゴル銀行の規定による必ず保有しておくべき資産がある。これは0.76%。最後に銀行の利益があり、現在0.76%である。これらを合わせて貸出金利は16.3%となる。

政府はこの貸出金利の引き下げは可能であるとして、貸出金利は月利1%、年利12%以内という決議案を可決しようとしている。

遠隔授業と社会の格差

COVID-19の影響により、モンゴルの教育分野には様々な変化が起こっている。私たちは新型コロナウィルスの感染防止のため、すべての学校を休校とし、遠隔授業つまりオンラインでの授業を実施してきた。しかし、オンライン授業をすべての児童生徒が受けられるわけではない。

新学期となる9月1日から学校は再開し、授業は教室とオンラインの両方で行われるという。これはどう言う意味かといえば、9月1日から学校は再開するが、新型コロナウィルスのため、授業は教室とオンラインの両方で実施される。例えば、児童生徒は週3回(3日間)学校行き、2回(2日間)はオンラインで授業を受けるなどだ。

オンライン授業は、すべての児童生徒、教師がパソコンを所持しており、かつインターネットに接続された状況なら正常に行われる。今日、モンゴルには約800校の学校があり、その80%が国立、20%が私立である。またそれらの70%が地方、30%が首都ウランバートルにある。

800校に60万人の児童生徒が通っており、児童生徒の93%は国立学校、7%が私立学校に通っている。また教員は全国に3万人いる。教育大臣はオンライン授業実施のために3,200台のノートパソコンを全国の教員に配ると言っている。そのため、私たちは何人の教師がノートパソコンを所持しているか否かを確認する必要がある。

モンゴルの世帯数はおおよそ90万世帯である。このうちの4,700世帯(0.5%)が電力網に接続されていない。6歳以上の人口でみれば、ウランバートルでは人口の90%、地方では82%が携帯電話を使用している。インターネット利用において、携帯電話で利用するのとパソコンで利用するのとでは異なる。

そのため、児童生徒の何人がパソコンを所持しているのかを明らかにする必要がある。例えば、兄弟2人が1台のパソコンを持っているとすれば、授業時間が重ならないかも考慮にしなければならない。このように事前に把握しなければならない事項が数多くあるため、オンライン授業は教育分野全体にパソコンが十分に普及してはじめて実現することだと思う。これには国と保護者の両方からの投資が必要である。

次に、パソコンやインターネット環境は、国立学校と私立学校の生徒では天と地のような差があることを皆さんは言うまでもなく知っていると思う。学校の授業料も大きく差がある。国立学校は無償であり、私立学校の年間授業料が児童生徒1人当たり100万〜6,000万トゥグルグである。

国立学校は国から予算を受けているので無償ではあるが、実は私立学校にも国から予算を配分している。政府は新型コロナウィルスのために2020年5月27日の閣僚会議で、2020年の教育予算から私立幼稚園や私立学校に対して500億トゥグルグの補助金を交付すると決定した。

私立学校に補助金を交付することは、一方すべての子どもは平等という原則が機能しているが、他方、この原則はすべての子どもに不平等をもたらしている。なぜならば、私立学校に通っている児童生徒への投資は非常に大きい。残念ながら、このことが社会の不平等を生んでいる。

新型コロナウィルスによるオンライン授業は、この社会の格差を明らかに示している。社会の格差を生涯の格差にしているものは「教育」である。質の高い教育を受けた者は良い人生を生き、そうでない者は悪い人生を生きている。1つの例として子どもの食事について挙げよう。新型コロナウィルスの影響で学校が休校となったので、貧困家庭の子どもは給食を食べられなくなり飢餓状況に陥っている。モンゴルでは人口の3分の1が貧困にあり、同様に子どもの3分の1が貧困ということである。今日のモンゴルの社会の格差はこれほどに大きくなっている。

 しかし、私たちはこの格差をもっと大きくしている。政府がこの格差を作っている。今日、私立学校は国立学校の優秀な教員を高い給与で引き抜いている。国立学校と私立学校の教員の給与の差は100万トゥグルグである。

教育の目的はスターを育成するのではなく、社会の不平等を減少させることにある。教育の不平等はモンゴルの社会の格差をより拡大させている。このことを私たちは注意深く見ていかなければならない。