人の命は計り知れない価値があるが、そこには経済的な評価というものがある。この評価は、裁判官や市民自身が行うことができる。市民の命の値段は国によって大きく異なる。モンゴルとアメリカでは、市民の命はどれほどの価値で評価されているのかを例で示そう。
1ヶ月前、アメリカのミネアポリスの裁判所は、白人の警察官によって殺害された黒人のジョージ・フロイド氏の遺族に2,700万ドルの賠償金の支払いを命じる判決を下した。フロイド氏には6歳の娘と妻がいた。この賠償額は、フロイド氏が仕事し、将来持つはずだった価値、それにより家族が受ける恩恵、そこには娘の教育費も含まれている。また、彼の妻と娘を支援する活動が世界中に広がり、230万ドルの寄付が集まった。
1ヶ月前、モンゴルでは、酔っ払った下士官に殴られて死亡した兵士の遺族に、防衛省は法律に則り3,400万トゥグルグ(12,000ドル)を支払った。また、政府は、葬儀手当として100万トゥグルグを別に支払った。
このように人の命の価値の評価は、死亡原因や状況、残された遺族の経済的環境によって定められている法律が各国にある。評価水準は、当該国の経済発展、労働生産性、平均賃金など、多数の要因で算出される。ただし、個人は評価を比較的高くしたり、事前に交渉することができる。こういった機会は保険によって提供される。
リスクを解決する
人生にはリスクがつきものだ。人々は、自然災害、戦争、突然の事故など、実に様々な要因によって財産、健康、命が危険にさらされる。人類は、その損失を補う、もしくは元の状態に戻すための手段、リスクを防ぐ方法を常に模索し、試行してきた。
紀元前1772年、バビロン第6代王ハンムラビは、悪質な建物が倒壊しその住人が死亡した場合、その建物を建てた建築士を、もし建築士自身が死亡していれば建築士の息子を死刑にするという法律を制定した。人類はその3,000年後により洗練された方法を生み出した。それが保険である。14世紀にイタリアのジェノヴァで初の保険契約書が締結され、イギリスでは、生命保険が誕生した。当時、海賊による強奪やハリケーンなどの自然災害は、人々に大きな損害がもたらしていた。またそれがいつ発生するかを予測することは不可能だった。そのため、人々は共同で基金を立ち上げ、損害を受けた人やその家族に補償金を支払うようになった。特に1666年に発生したロンドンの大火災は、保険開発に大きな影響を与えた。
モンゴル初の保険機関は、1934年に閣僚委員会の決定を受け、「国家安全保障局」(ロシアのゴストラフに似ている)という名称で設立された。1960年に名称が変更され、「モンゴル保険」となった。そして1990年以降、民間保険会社が出現した。今日では、一般保険会社14社、長期保険会社1社、複合保険会社1社、保険ブローカー56社、保険の損害評価会社25社が活動を行っている。(金融規制委員会レポート)
これらの保険企業は、個人(自動車事故、病気など生命や健康に損害を及ぼすリスク)、財産(強盗、住宅火災など財産が完全又は部分的に損害を受けるリスク)、責任(過失運転による致傷、財産の損失など、意図しない行為によって他者の財産や健康に損害を与えるリスク)といった3種類のリスク保険サービスを提供している。
しかし、2004年の保険法では、保険サービスは長期および一般に分類され、それも任意および強制という2種類に分けられた。人命に関する保険は、長期かつ任意保険になる。この種の保険会社は、商品ごとにライセンスを取得し、株式資本は通常より高くなければならない。
生命保険
生命保険(life insurance)は、被保険者が死亡により家族を養えなくなった場合、家族の生活、教育に必要な授業料、ローンなどの支払いリスクを軽減し、大切な人たちの経済的ニーズを特定期間損なわないようにするためのものだ。そのために保険会社は生命のリスクを評価し、特定の料金(premium)を定期的に支払う契約を被保険者と結ぶ。これは、人が自分の生命を評価していることである。
先進国では、1)直接費用となる葬儀費や医療費、2)失われた機会収入、3)精神的損害という3つの要素を組み合わせて生命を評価する保険評価の基準がある。
モンゴルの裁判所の判例では、人命、健康への損害は、直接費用で計られて来た。被害者は、葬儀費用(400〜500万トゥグルグ)以外の金銭を受け取ることができないのが一般的である。例えば、裁判所は自動車事故で片目を失った16歳の少年の損害を190万トゥグルグとして評価している。2013年には、自動車事故の被害者側が損害として800万トゥグルグ、亡くなった1人の生命を400万トゥグルグ、致傷した3人の医療費をそれぞれ100万トゥグルグとして請求していた。モンゴルでは、人命は自動車より安い。はたしてこれは公正なものなのか?
一部の国では、精神的損害は年齢や性別に関係なく決められる。例えば、アメリカの各州では、25万〜100万ドル、韓国では、成人の場合100万ウォン、子どもの場合120万ウォンである。モンゴルでは、国民一人当りのGDPの方法で計算した場合、4,700万トゥグルグになるはずだ。
今日の世界では、生命保険は死亡後のみに支払われるものではなく、生涯にわたり補償されるものとなりつつある。例えば、モンゴルの長期保険会社であるNational Life社は、定期保険(term life)、終身保険(whole life)、貯蓄保険(endowment)、年金保険、健康保険などの長期所得のリスクを安定的に防ぐ商品を提供している。
生命保険は、その世帯の家計を背負っている者が就労できなくなった時に、その家族を貧困から守るものである。この種の保険は、リスク規模、性質に応じて保険内容、被保険者の保険掛金が決定される。損害は一斉に発生するわけではないので、準備金が積み立てられる。この積立金により、長期的かつ質の高い投資が可能になり、インフラプロジェクトなどに資金が投入され、国の経済を支えることに繋がる。そのため、1964年には国連が「保険は健全な経済において重要な要素である」と定義した。
保険会社は商業銀行と異なり、単年ではなく長期の投資を行う基金となる。そのため証券取引市場の主要なプレーヤーとなる。世界的に見ても、生命保険投資の96%が、平均投資期間5年以上、72%は10年以上である。GDPに対する生命保険料の比率が1%増加すると、GDPは0.15%増加するという調査結果もある。
また、生命保険は契約期間が長いため、危機時には金融システムを維持するための重要な要素となる。一般的に、社会福祉費は生命保険料収入に反比例する。OECD諸国の事例を見れば、生命保険料の増加は、国の社会保険財政に生じる困難を軽減している。例えば、アメリカでは2010年から2017年の間に保険会社が加入者に支払った生命保険、年金、労災保険は1兆1000億ドルにのぼる。これがこの期間の社会保険支出の20%、連邦政府の支出全体の4%を占めた。アメリカでは、全人口の59%が生命保険に加入している。モンゴルでは0.04%である。
国による国民の命の評価は、このように経済規模、保険分野の競争力、生命保険に加入した人口の割合、人々の保険会社への信頼度によって異なる。したがって、すべての国民はできる限り自分の命を評価し、長期保険、特に健康保険、年金保険や貯蓄保険に加入し、考えられるあらゆるリスクから自分の家族を守らなければならない。保険は、あらゆるリスクを防ぐために、人類が考え出した唯一かつ最良の方法である。
ダムバダルジャー・ジャルガルサイハン