〜モンゴル民主化運動の記録〜
モンゴルの新聞ウドリーン・ソニン紙(Udriin sonin)に最近、Ts.エルベグドルジ前大統領の手記が定期的に掲載されている。同紙2019年4月11日版には、約30年前に開催されたある会議についての記事が載っていた。この手記に書かれている「モンゴルの新たな政治勢力の初会合」は、モンゴルの学生連盟が起こしたものである。私はその会合を仲間と共に立ち上げた。私はこの会合の記録を付けていたため、それをここで読者の皆さんと共有したい。
「1990年2月24日土曜日」
08:30 モンゴル革命青年同盟中央局の発表
- この会議で私は国際学生連盟の変化、モンゴル学生連盟についての話をした。実に多くの人の質問に答えた。
- そして、モンゴル革命青年同盟中央局のメンバーの一員として、モンゴル革命青年同盟臨時大会議を早急に実施したいという提案を出した。
10:30 モンゴルプレス新聞の記者L.ガントヤーから、国際学生連盟、モンゴル学生連盟の現状についてインタビューを受けた。
14:30 元モンゴル学生連盟会長(この3日前にモンゴル学生連盟中央局会議で会長職を退いていた)、中央局書記長G.ガンボルドと面談し、モンゴル学生連盟の方向性について話し合った。
16:00-21:00 モンゴル国立大学第3棟(旧高等教育委員会)に次のメンバーが集まった。
民主勢力の共同会議への参加者:
- モンゴル学生連盟:Lu.ボルド、D.ジャルガルサイハン、ゾリゴー(学生)、レンツェンタブハイ
- 新しい発展連盟:バトスフ(教授)、B.ソゥンドゥイ、Sh.シャグダルスレン、J.ボル
- 民主的社会主義運動:L.ラフガジャブ、R.ハタンバートル、P.ウラーンフー、R.ゴンチグドルジ
- モンゴル民主同盟:Ya.バトスフ、B.ジャルガルサイハン(ブヤン)、エルベグドルジ(赤星新聞)、トゥムルバートル
各団体から4人の代表者が集まり、次の2つの議題について長時間に渡り議論を交わした。
- 団結のための各団体の基本的主張。
- 3月4日に合同デモに参加するかどうか。
会議の内容:
モンゴル民主同盟のB.ジャルガルサイハンの発言:
- D.ソドノムはYu.ツェデンバルのようにロシア人と結婚している。夫人はソビエト連邦側の人間である。私たちは彼が署名した機密書類を手に入れた。ソビエト連邦に130億ドルの借金をつくり、再びモンゴルを売った人物だ。
- 昨日、ソビエト連邦大使館でシトニコフ大使が記者会見を行い、「私たちはモンゴルの遊牧民のために2500万ルーブルとローソクなどの日用品を提供する」と言った。
- 現在の党執行部は犯罪者同然であり、そんな彼らとは席を共にできない。
モンゴル民主同盟のTs.エルベグドルジ(赤星新聞記者)の発言:
- モンゴル学生連盟に3月4日(土)のすべての講義への欠席を呼び掛けた。
- もし講義を欠席しなければ、資材製造分野で働く労働者がストライキを実施すると言った。
- 3月3日~4日は革命の日となるだろう。そこでは血が流れるかもしれない。モンゴル民主同盟はウランバートルだけでも102もの支部がある。
- 私たちが今、国を変えなければ、夏には外国にいる留学生が戻ってきてスーツケースを抱えたままデモをするかもしれない。
最後にモンゴル民主同盟(エルベグドルジ)、新しい発展連盟(バトスフ)、民主社会主義運動(ゴンチグドルジ)、モンゴル学生連盟(ジャルガルサイハン)はワーキンググループを結成して連携していくこと、また次の共同声明文を承認した。
承認された事項:
- 共同声明:モンゴル人民共和国、人民大会議、モンゴル人民革命党中央委員会、閣僚委員会に伝えた。
- 提唱:モンゴル人民共和国の防衛軍事機関及び公安省(現在の諜報庁)に呼びかけた。
共同声明:
- モンゴル人民革命党の臨時大会議を3月に実施し、党中央委員会のメンバーを刷新すること。また政党や政府から委員会活動を独立させること。
- 臨時の人民大会議を実施し、暫定的に人民代表会を設立し、各政党が平等に参加できる自由選挙で大統領を選出すること。
- 政府の独立、国家の団結、国民の安全を尊重すること。
提唱:
- 防衛軍事機関と公安省は、いかなる状況になったとしても、国民に向けて武器を使用しないこと。
決定した内容:
- 3月3日、09:00時にスフバートル広場に各団体代表らが集結し、10:00時に人民革命党書記長バトムンフに共同声明文を渡す(これには学生の講義欠席をモンゴル学生連盟が認めなかった)。
- 3月4日、13:00時よりデモを行う。人民革命党書記長バトムンフに共同声明への回答をもらう。
- デモの場所はスフバートル広場になるとは合意できていない。モンゴル民主同盟はスフバートル広場でのデモを提案したが、これについては2月27日18:00時に青年会議室で再び協議する。
21:30-22:10 モンゴル国立大学の学生委員会に参加し、約20名の学生を前に共同会議の内容を伝えた。学生たちはとても感激し、私たち4人に祝福の言葉をくれた。
22:10-23:00 Lu.ボルドの部屋にて2人で話をし、モンゴル学生連盟の第4回会議の実施について話し合った。
補足: 当時、私は国際学生連盟でモンゴル学生連盟を代表し、チェコのプラハにいた。世界的な民主化のうねりの中、ウランバートルに戻り、1990年2月18日(日曜日)にモンゴル民主同盟の初の会議に学生だったP.ツェングーン(現アルタンタリア社の社長)とモンゴル学生連盟の代表者として参加した。
私は走書きのメモを夜中に整理し、この日記に記した。当時、新たな政治勢力と言われる組織を私たち学生が探し、彼らに会いに行き、どのように協力するか、どのように力を合わせるかについて話し合う必要性を強く感じていた時代だった。
この初の会議には多くの人が参加したため、その調整は難しく、各自が思い思いに発言しようとしていた。そこでゴンチグドルジ先生の意見で、4つの団体から4人ずつ席に座らせるように机を四角形に配置することとなり、それ以外の人は部屋から出てもらい、ようやく会議がまとまったものである。
とにかく、新しいモンゴルの政府をどのように組織するかについて、長時間協議して正式に声明文として作り上げた。後にモンゴルの国民大会議議長と大統領となった2人と共に会議の隣の部屋で紙に書き記したものがこれである。
この4つの団体のうち、政府に正式に登録され、自分たちの印鑑とタイプライターを持っていたのは、唯一モンゴル学生連盟だけだった。モンゴル民主同盟は当時、政党にもなっていなかったが、その後連立政権を樹立することになった。 4つの民主勢力の次の会議は1990年2月27日18時30分から行われた。そのときの記録もある。
ダムバダルジャー・ジャルガルサイハン