「朕は国家なり」とは、350年前にフランス国王ルイ14世が宣言した有名な言葉である。もちろん「私こそが国家そのものである」という意味だ。しかし今日の国家は、1人の人間ではなく、3つの基本的な制度によって形成される。それは国家・法の支配・説明責任(フランシス・フクヤマ『政治の起源』より)である。国家は権力を生み、そしてこれを利用する。これに対し、法の支配と説明責任とは、その権力を監視し、バランスを取ることである。この3つが同時に機能してはじめて、現代の民主国家が成り立つことになる。

 

今日、モンゴルの政府は腐敗に侵され、それが国家発展の最大の障害となっている。2019年世界の腐敗認識指数では、モンゴルは35点で180ヵ国中106位となった。それ以外にもこの調査では、世界中で腐敗が減少しない状況であることが明らかになった。主な原因は、政治に大きな影響を与える「(かね)」が腐敗の深刻化に関係していると、この腐敗認識指数を発表する非政府組織(NGO)「トランスペアレンシー・インターナショナル(TI)」が指摘する。

政党の資金調達は腐敗を生み、政府に対する国民の信頼が後退し、世界中で正義の確立が求められている。「腐敗が少ない」とされる70点以上のスコアを獲得した国では、選挙資金調達に関する明確な法律と制度が機能している。対照的にスコアが35点以下の腐敗が多いとされる国では、そのような法律と制度が機能していないという。

出典: https://www.transparency.org/

腐敗が蔓延る国では、法律ではなく政党の中の少数の者たち、もしくは1人の人間の利害関係によって統治されている。モンゴルで政権を交互に、時には連立して握ってきた人民党民主党は「国家は私たち政党」だと考えるようになって久しい。

法による支配

1人の人間の権限を制限した「マグナ・カルタ」は、自由の大憲章とも呼ばれ、1215年にイングランドでジョン王により制定された。法律という誰もが認めた文書をすべての人々が遵守することによって、人類は急速に発展してきたことを歴史が証明している。

法による支配を簡単に定義すると、すべての人、どれほど大きな権力や資産を持っていようと、法の下では平等であるということだ。社会生活の規則は成文化した法律にある。すべての法律の上にあるのは憲法裁判所ではなく、憲法のみである。モンゴルではこの法による支配が形成されず、腐敗が蔓延している。その主な原因は、法律の立案、成立、施行の各段階に見られる。

モンゴルでは、法律の立案過程において、政治、社会および企業の代表間での十分な協議がなされていない。また、法律は十分な調査に基づいて立案されていない。その結果、法律を常に改正するはめになってきた。

法律の成立過程においては、国会議員全員の意見が盛り込まれたかどうかが疑わしい。議員自身が所属する常任委員会で審議されない法律に対してその議員の参加が弱い。また議員の知識や学歴水準にも参加の弱さが関係している。本来、どのような法律であれ、その審議において議員の参加はもとより、賛成意見や反対意見についての発言が記録として残り、市民が閲覧できるようになっていなければならない。

そして最も問題が深刻なのは法律の施行についてである。政治家が法を軽んじることは、N.アルタンホヤグ元首相の「法律は関係ない」という発言からも分かる。法律の施行については「後退する民主主義」という記事で詳しく述べたとおりだ。国家の民主主義が後退する際、ほとんどの場合で真っ先に法の支配を無くすのである。

モンゴルでは政治家が司法制度を弱体化させていることは疑いようがない。政治家は国家安全保障委員会という組織を前面に出し、司法制度を侵害するようになった。最近、可決成立した年金担保ローンの残高を帳消しにする法案は、国家安全保障委員会が推し進めたものである。国家安全保障委員会がこの法案を国会に可決するように強く働きかけたことは確かだ。これは国会が立法権を失ったという証左である。

これについて国際連合特別報告者であるミシェル・フォースト氏、ガルシア・サヤン氏は「行政権が司法権へ影響力を及ぼす時、司法の独立性が失われる。国家安全保障委員会の勧告による裁判官、検察官の解任はその表れである」と言った。モンゴルの国家安全保障委員会は、行政府の長となる大統領、首相、立法府の長となる国会議長で構成されている。

法の支配を量る

TIの腐敗認識指数調査に世界の約10機関が参加しており、その1つが「世界正義プロジェクト(World Justice Project)」である。世界正義プロジェクトは非営利独立機関であり、各国の法の支配指数を毎年報告している。2019年の法の支配指数で、モンゴルは55点と126ヵ国中53位となり、2016年より2ランク順位が上げている。

法の支配指数は、当該国の法律と組織が次の4項目をどの水準まで反映させ、施行しているかで量られている。これには、

  1. 説明責任(accountability)、つまり政府、個人、法人は法律に則って責任を負っているか。
  2. 公正な法律、つまり法律は分かり易く、印刷され、持続的かつ平等に機能しているか、基本的人権の尊重、契約や財産権を保護しているか。
  3. 政府の開放度、つまり法の執行、管理、強制のプロセスにおける公正度、効率度、アクセス度。
  4. 如何なる争論も独立して解決できているか、つまり正義を能力、道徳性、独立性を確立できているか。

出典:世界正義プロジェクト(World Justice Project)

上のグラフをみれば、モンゴルの社会秩序、治安における評価は高く出ている。しかし、腐敗のコントロール、法律の施行という指数は他より評価が低いことがわかる。

法の支配の確立

法の支配は自然に確立するものではない。長い年月の間に起こる数多くの困難を乗り越えていくプロセスを経て確立できるものである。イギリスでは社会の中の不文法、慣習法から成文化された法律が形成する時に、国王や貴族の間で長年の権力争いと協議が行われた。また、宗教の影響も多かった。宗教上のいかなる高い地位の人物でも、聖書の上には存在しないという考え方があった。これは成文化した法律に権力者も支配されなければならないという文化の土壌となった。

モンゴルのような新興国において、法の支配を確立させるためには「公務職の発展と強化が必要である」(フランシス・フクヤマ『Deep State』)。公務職が発展すればするほど、国は市民社会や報道機関により良い働きを求めるようになる。

法の支配は、法律関係者だけではなく、すべての人に関係する問題である。法の支配が有効に機能し執行されている国では、腐敗が少なく、貧困や失業といった社会問題が減り、真の意味で正義が確立している。 法に支配がなければ、政府は腐敗に侵され、国民は自由を失い、知識は無力化し、暗黒の社会へと転落するだろう。

ダムバダルジャー・ジャルガルサイハン