Du.ジャルガルサイハン氏はモスクワの鉱山大学を鉱山経済学者として卒業しました。その後アメリカのコロラド鉱山大学で専門を向上させました。モンゴルの鉱業分野において30年間の経験をもっています。彼は鉱物資源庁(現:鉱物資源石油庁)、産業貿易省(現:食料・農牧業・軽工業省)の重工業局などで管理職を歴任しました。近年、新たな金融サービスをモンゴルに広げるために企業構造を分析し、正常な制度の構築、若手の社会参加を促進する活動に取り組んでいます。

J(ジャルガルサイハン): あなたは企業のシステムを評価・分析し、どの様に改善するかを科学的な根拠に基づく「システム思考」で捉えています。面白かったのはモンゴルの社会をシステムとして捉え、何がいけないのかを憲法を基に評価し、何を改善すべきかを指摘したことです。今日は2人でこのことについて話しましょう。

Du.ジャルガルサイハン: 私たちは企業が直面する課題解決方法をずっと探していましたが、最適なソリューションを見つけ出せませんでした。それがこの研究をするきっかけとなりました。私たちはその研究の過程で一つの発見をしました。それはビジネスにおける課題は私たちの思考によるものだということです。私たちは自分のニーズを満たすために特定の目標を掲げ、その目標を達成させるために特定の方法、企業、システムなどを作ります。しかし、何らかの困難に直面し、目標を達成できないと自分の思考以外の全てのもののせいにします。これは私たちがしばしばする過ちです。また、自分の思考を変えなければならないということを分かっていても、どのように変えるかという次の問題が起こります。このことについて研究してみました。人は何か行動を起こす前に必ず判断をします。その判断の正当性を図るために測定と比較という2つのロジックを利用します。測定をするためには目標に応じた基準があること、その基準で判断するために比較できるもう一つ要素が必要です。何と比較しているかによって異なる判断ケースが出てきます。

J: あなたはこの比較例を人間の健康と関連付けて説明しました。これについて話を聞かせて下さい。

Du.ジャルガルサイハン: 人は身体に異変を感じた時に医者のところに行きます。医者が最初に言うことは「検査を受けて来て下さい」です。検査を受けて下さいというのは、より多くのデータ、測定基準が必要という意味です。検査結果を基に医者はそのデータを健常な人と比較してみて、変わっているところやその理由を説明し診断します。これを企業、ビジネス、社会に置き換えてみた時、自分たちの目標が達成できているかを図ろうとすると「健康な企業」や「健康な社会」のモデルがないのです。私たちはよく自分たちの判断をシンガポール、アメリカ、ヨーロッパ諸国と比較します。比較しても構いません。しかし、シンガポールと比較すると言うことは、制度的に良く調べて自分の目標と比較することであり、シンガポールにある高層ビル、清潔な電車をみて同じようになれると思い込んではいけません。そのような思い込みは私たちの思考の中に怠慢を生みます。システム思考を利用すれば、自分の目標を達成できた時に結果として何ができるかというモデルを自分で見つけ出し、その目標を達成するために協力した人たちと協議して、全員が認識することを「目標を共有した」と言います。最終的にその目標を今置かれている状況と比較します。

J: 憲法では「私たちは人道的で思いやりをもち、民主主義国家を確立する」と定めています。これは過去30年間において取り組んできた活動の礎となる文書です。しかし目標はあるが、私たちが希望する平和で安全に豊かな暮らしをする条件が整備された社会が作られていません。これについてどのように説明しますか?

Du.ジャルガルサイハン: 人は家を建てるためにまずは図面とデザインを作ります。次にその図面やデザインについて話し合って図面通りに家を建てます。もし図面と違うものが建てられた場合は、その図面が正否を見定める基準となりますから、それを比較し建築会社に改修させることが容易になります。しかし、企業や社会の場合はこのような図面を出すことは簡単ではありません。これらは人間の相互関係、つまり人と人との間における情報の流れ、相互に負う義務と権利、責任などで成立します。しかしこの要素は時間と共に変化するので紙の上に正確に書かれなければならないと思われます。企業構造でいうと製造部、経理部、人事部といった部署で成り立ち、政府構造でいうと19の省がありその下にあるいくつかの局という様なものは理論的にいうと構造ではありません。社会における安定した人間関係を、どの様に自分たちが分かりやすいモデルにするかが難しいのです。しかしこれはシステムモデルを利用して作ることができます。他国ではこの方法が利用されています。

私たちはこの方法を導入するために、まずは自分たちが直面している課題を解決するために研究しました。そして特定の解決方法を生み出した上で、社会モデルを確立しようとしました。研究はとても面白くなってきています。システムの基礎的なソリューションがモンゴル社会の基礎となる憲法にあるかどうかをみたところ、システムには目標があり、目標を達成するための義務で構成されていました。そしてシステムの実施において参加した人は成果を受けること、できない場合は修正するサイクルがなければならないといった主要なソリューションがありました。

次に憲法の条文を利用して社会活動に参加している全ての人を国民、公務員、政党員の3つに区分しました。こうしてみた時にモンゴル国憲法は正常なシステムソリューションの90%を含んでいます。しかし、3つに区分してみた時に一つ分かったことがあります。それは上記の3つの区分の中で全く責任を負わず、唯一権限だけを享受しているものがあり、それは政党でした。目標を達成するための活動には参加者の義務があり、その上に権力が成立します。このことについて以前ある人が「私は妻にキスをするために権力を行使できるか」という話を例に挙げ説明していました。Aという男性が妻にキスしたいと思う度に、彼の妻がキスを受ける義務を負わなければ、彼が妻にキスをするための権力が全く確立されません。この例から、私たちは義務をもって制度を作らなければならないということがわかります。

J: 権力とは義務ということですか?

Du.ジャルガルサイハン: そうですね。これに関して私たちは非常に複雑な理解の差と言うものをもっています。私たちはどうして権力という言葉を使っているのかをシステム理論に基づいて調べてみると、権力とは権利ではないし、所有するものでもありません。権力とは他者が負っている義務を果たすことを強制する義務です。これは責任を負わずに権力だけを行使することはできないという面白い結論に至りました。モンゴル国憲法第19条1項には「政府の基本的な義務は、国民の権利を保障し、侵害された権利を復活させる義務がある」と定められています。国民の権利とは何かと調べてみると、憲法第16条では働く、保護する、享受する、生きる、学ぶ、発言する、協力するなど、とても詳細に規定されています。これはとても良いことです。

J: 政府の権力とは何ですか?

Du.ジャルガルサイハン: 政府の権力というものが関連法に記されています。憲法では政府の義務が定められています。大統領、国会議員、内閣法などを調べてみると、政府の義務ではなく権利のみが定められています。憲法第19条1項をみると、政府は国民のために働く義務があると定められているのに、関連法をみるとその逆です。例えば、内閣法では政府は社会、経済における何らかの設立を監督する義務があると定められています。この中には以前の制度や思考からくる言葉がそのままあります。政府は個人のために働かなければならないのに、またそれを監督する義務を負っています。

J: ここでは原則の違いが生じています。そのため、官僚や公務員は国民のためではなく、政府のために働いているように聞こえます。民主主義社会の理解では、政府及び政府で働く人たちは政府のためではなく、国民のために働かなければならない。初めて憲法を制定した当時、公職という代わりに国家公務員と言えばより分かりやすいと協議していました。しかし途中で止めたようです。公職員というより国家公務員という呼称にすればどうですか?

Du.ジャルガルサイハン: これは言葉からできている人々の思考にある基本的な理解です。これらの背景には特定の形質があります。私たちにとってその形質について具体的に理解することが重要です。もちろん、思考により近い言葉を選ぶ方が良いと思います。

J: 政党は、選挙で勝利すれば政府の全ての権限と権力を握る唯一の組織です。しかし、義務が不明確であるとするとこれは非常に危険です。この状況をどのように変えられますか?

Du.ジャルガルサイハン: まずは法律で政党が社会全体に負うべき義務を明確にする必要があります。政府の義務はありますが政党の義務はありません。政党に義務を負わせなければ、彼らに責任を追及できません。選挙に負けることが彼らにとっての責任であると言う人はいるかもしれません。しかし、そうではありません。それは単に政権を握る人たちが変わっただけであり、責任ではないのです。

Du.ジャルガルサイハン * D.ジャルガルサイハン