2021年、モンゴルでは人民革命100周年、民主革命30周年を祝う記念の年となる。この100年間のうち70年間は集中経済と一党のイデオロギーの下、最後の30年間は市場経済と民主的で多元的なイデオロギーの下で我々は生きてきた。

30年前、完全にソ連へ依存していたモンゴル経済と政治体制が崩壊した。そして全国に食料バウチャーシステムが確立された。人々は海外へ渡航することが許され、個人商売が繁栄し始めた。最初の民主主義政府が樹立され、それまでの法律や規定は根本的に変えられた。人権、自由、正義、国民の団結を尊重し、人道的で市民的な民主主義社会を構築することを目指した。国家は民主主義、平等、法の支配の原則を遵守する。また、公共および民間の多数の所有形態を含む経済を持ち、財産権を法律で保護することを宣言した。(モンゴル国憲法より)

私たちは民主主義という道を歩みはじめ半世紀後が過ぎた今、辿り着いたのはどこなのだろうか?個人の自由、経済の自由、それを保障する法の支配という3本柱を力強く建てることができたのだろうか?

個人の自由

民主主義はまず、言論の自由から始まる。この言論の自由がなければ、出版・団結・選択の自由も存在しえない。そしてどこに住むか、どこに行くか、何をするかを選択する自由も得ることは不可能となる。1990年まで、モンゴル人は共産主義のイデオロギー、それは政府の政策だが、それに異を唱えたり批判したりすれば、罰せられ、解雇され、投獄され、そして消息を絶っていた。何人かのモンゴルの国家元首は、ロシアの共産主義者によって処刑されていた。人々は、県や都市を離れる時、どこに、なぜ行くのかを申請し、許可された証明書を勤務先から、又は所属する区役所から得る必要があった。

今日、言論の自由は、弾圧が繰り返されることなくこの国に定着した。2020年時点で、モンゴルには502の報道機関がある(プレスインスティチュートのデータ)。しかし、これらの報道機関の75%は政治家によって所有されている。

団結の権利を保障するため、1997年に非政府組織に関する法律が制定された。2018年の時点で17,685のNGOが国家登録を受けており、そのうちの8,578の組織が継続して活動を行っている(国家登録のデータ)。しかし、政党や宗教団体のみならず、営利目的の法人も「NGO」という肩書を過度に使用するようになった(法務・内務省のデータ)。

国民に参政権があっても、それは縮小しつつある。政権に就く政党、その政党に資金が集まるようにするための寡頭制、そこへ政治家が所有する報道機関が繋がり、無所属で政治へ参加する者は公正に競争するチャンスを得られないでいる。選挙はイデオロギーではなく、金銭の競争に変わってしまっている。有権者の票を買うことが常態化している。民主化当初、計画していた代議制民主主義は、民主的独裁(デモクラトラー)となっている。投票用紙は機械によって集計されるようになり、手作業による開票よりも速くて簡単になったと思われているが、機械のプログラムを変更できるのではという議論が高まっている。

国民に自由を取り戻すため、政治家が直接的および間接的に報道機関を所有することを禁止し、政党内でのNGOの活動を停止させ、選挙はブロックチェーン技術を活用して行う必要がある。

経済の自由

経済の自由は、自由市場、自由価格から始まる。自由価格こそが自由競争を生み出し、消費者に対して公正にサービスを提供する。自由競争の撤廃は、長期において独占を助長し、供給網、規模、品質を低下させる。無論、いかなるビジネスも人間の健康や安全、自然環境に対して配慮しなければならない。

しかし、モンゴルでは、政府が主要商品の価格を管理し、維持している。政府は小麦栽培をソフトローンで支援し小麦粉の価格を、価格高騰時でも量を確保するために食肉の価格を規制している。また、ガソリン、水、交通機関、電気料金なども管理し、規制している。家庭の消費者に対しては、1kWhの電力を本来の価格(9.2セント)より30%(6.4セント)安く販売している。長年続いてきたこれらの政策の結果、国内のエネルギー生産能力を増強することができておらず、2020年には、国内で71億kWhの電力を生産し、隣接するロシアと中国から17億kWhの電力を輸入することとなった(エネルギー規制委員会のデータ)。

政府が経済へ関与する機会が増えることは、経済成長を制限することとなる。民間部門ができる分野で、国有もしくは地方自治体所有の企業が設立されることが多々見られるようになった。最新の2016年の国勢調査によれば、国有および地方自治体が所有する企業は43社、銀行3行、株式会社(名目上)49社、政府が関与している企業9社、有限会社13社があり、その総資産は30兆トゥグルグ(内閣官房データ)となり、これは当該年のGDPに匹敵する。2019年の時点でそれらの企業の30%が赤字経営だった。黒字経営となった企業は配当金として1,550億トゥグルグを国庫へ支払った。それでも国有企業の管理職の平均収入は全国平均より50%高い。

経済における公正な競争が阻害されている要因の1つは、財閥や企業経営者が政府に入り込み、自分たちのための法律を制定し、施行し、独占してきたことである。また政府は、購買入札に関しては公表するが、銅、石炭、金などの販売については入札を行わないため、官僚グループはそれらの販売を独占し、販売量に比例したボーナスを分け合うシステムができている。

過度な社会福祉手当の給付は、低所得者の働く意欲を低下させている。人々は、子ども手当、勲章、その他の追加給付金など月に50万トゥグルグの不労所得を得ている。公共交通機関を利用した通勤、それも渋滞で長時間バスに揺られ職場を往復して60万トゥグルグを手にするより、何もせず国から手当を受ける方が良いと考えるようになっている。

政府の支出が増え財政が赤字になると、あらゆる種類の税金を徐々に引き上げる、それが慣例化している。税金が引き上げられる度に民間企業の事業拡大への意欲が失われる。社会保険料として個人の給与から12.5%、雇用主から13.5%を徴収しているが、そこへ年々上昇している労働最低賃金(現在、月額42万トゥグルグ)などが合わさり、雇用主は雇用機会を作れなくなっている。それに社会保険システムは借金で運営され既に破綻している。

モンゴルでは110万人が就労しており、その48%が社会保険料を支払っていない。2020年の時点で、モンゴル国内には13万2000社が登記されており、そのうちの9万8000社はX報告書を提出し、事業活動を行っていない。

2020年第1四半期の失業率は4.5%減少したというが、同期間の失業保険基金の支出は2倍増加している。労働市場で労働力が減少している理由は、仕事の要件を満たす能力を有する者が少ないこと、賃金が低いこと、そして政府の福祉手当が拡大していることにある。

法の支配

法の支配は特定のグループによって運用され、司法は彼らの依頼で動いている。司法制度は、政敵を打ち負かすための武器となり、「悪事のトンネル」という言葉が社会全体に広く認識されるようになった。

何百もの汚職事件が賄賂対策庁によって暴かれてきたが、裁判所に送られ、検察官によって無効となる。そうでなくても再捜査を繰り返しながら、時効となって終わるようになった。また、恩赦法というものによって犯罪者を無罪にするようになった。

裁判官の任命には、大統領の関与が大きかったが、これについてはこの間の憲法改正で国会議員や裁判官、公共の参加をより増やすことができた。しかし、これには政権与党に、より有利な権限が与えられているという批判が伴っている。

与党人民党の幹部は、2016年の総選挙前に政府の役職に価格を付けて党員に入札させ、総額600億トゥグルグの資金を調達する計画を首相や党首に紹介している映像が流出した。しかし、この件に関して今日まで誰も責任を追求されていない。そして政府の役職だけでなく、入札や海外赴任など全てが売り出されるようになった。

人民党国会議員の半数となる約30人は、自社および自分が関与している企業に中小企業開発基金から3%という低金利(銀行の金利は20%)融資を受けていたが、3人の国会議員以外は誰も責任を負っていない。しかも一部は再選し、国会の椅子に座っている。

モンゴルは法治国家ではなく、法律を超越した存在が、国民や政党を支配している。その結果、腐敗が蔓延し、国民の政府への信頼が失われ、大勢の人がより良い仕事や生活を求めて国外へ脱出し、そこで定住するようになった。

ノーベル平和賞を受賞したアウンサンスーチー氏は、2013年にモンゴルへ来てこう言った。「民主主義のふりは独裁よりも有害である。」私たちは彼女の言葉を思い出す必要がある。民主主義の正しいが険しい道を、失敗も成功も含めて30年間歩んで来た私たちモンゴル人は、民主主義のふりではなく、真の民主主義を確立させることができるはずだ。

ダムバダルジャー・ジャルガルサイハン