(貧富の差を決定づける教育制度

南アフリカでは、白人の学校に予算が回され、黒人の学校には予算が不足していることが長年続いていた。これは同国のアパルトヘイト政策により格差が広がり、社会のアンバランスを生んだからだ。彼らはしばしばこの政策を、下がブラックコーヒーの層、上がホワイトクリームに粉末ココアを振りかけた層からなる「カプチーノ社会」と呼ぶ。

今日、モンゴル政府は貧富の差を決定づける教育制度で、その「カプチーノ社会」を作っている。初当選を果たしたG.ダミダンニャム、G.アマルトゥブシン、Kh.ガンホヤグの3人の国会議員は、今後4年間で国立学校(モンゴルの国立学校の殆どが小中高一貫制である)から100校を選定し、ケンブリッジ・カリキュラムを導入することを国会に提案した。モンゴルの教育制度全体の改善や教育の質を国際水準に高める必要があることは事実である。なぜならば、過去20年間で私立の幼稚園や学校、国立研究校という特別な学校が設立され、教育の格差が加速しているからだ。

小中高校は収益性が高いビジネスになった

幼稚園、小中高校では、平等かつ誰もが教育の機会を得られてこそ社会が発展し安定する。このような教育制度は社会の格差を縮小させ、人生の出発点の機会をすべての子どもに平等に提供することになる。

モンゴルでは、2019〜2020年度で国立662校、私立158校に64万人の児童生徒がおり、毎年5万8000人ほどが卒業している。児童生徒全体の7.3%を占める4万7000人が私立学校に在学している。国立学校では1クラスあたり50人以上の生徒がおり、教員の負担が大きくなっている。それが教育の質の低下に繋がっている。

対象的に私立学校の1クラスの生徒数は20人ほどである。それに優秀な教員を高い給料で雇っている。教育の質も国立学校とは大きく異なる。裕福な保護者は教育の質の高い学校を探し、家から遠く、授業料が高い私立学校に子どもを入学させている。これがウランバートル市内の渋滞を増やす一因になっている。

元国会議員、大臣経験者たち、現職国会議員は、自分たちが設立した私立学校を持っている。彼らは教育をビジネスにして、保護者から高い授業料を徴収している。さらに国からも補助金を受けている上、自分たちの学校を保護する法律規定まで作った。

私立学校の他に、パイロット校として国立の3校が設立された。これらの学校の卒業生の大半が、世界トップクラスの大学に合格している。この3校に入学するために、100人の募集定員に対して1万5000人の児童が願書を出し、入試を受ける。ラボラトリーやケンブリッジといったバイリンガル・カリキュラムを備えるこれら3校は、成績優秀な生徒を選抜している。その児童生徒は主に平均もしくは平均以上の所得世帯の子どもである。

ケンブリッジ・カリキュラムを導入している学校は、2015年時点で他の一般校と比較して教員給与が47%高く、その他の費用は25倍も大きかった。モンゴル政府は教育分野にGDPの4.2%、国家予算の12.4%を費やしているが、このカリキュラムをすべての国立校に導入することは不可能である。モンゴル政府の予算では負担できない額である。私たちはケンブリッジという会社に数十億トゥグルグの費用を国家予算から支払う余裕などないのだ。しかし、それに類似したカリキュラムを自分たちで開発することはできる。また、そのような経験を積んでいる。

不平等な社会

今のモンゴルの教育政策は、子どもたちを身分や親の所得などで差別するようになった。モンゴル政府の高官たちは警備が付いたマンションに住み、国立病院などは利用しない。自分たちの子どもを国立学校に通わせていない。公共交通機関も利用しないなど、このようになって久しい。彼らは国立学校に投資する代わりに私立学校を設立し、平均的な所得世帯の子どもが入学できない高い授業料を設定し、社会に「見えざる壁」をつくった。

不平等な政策は、単なる道徳の問題ではなく、制度の問題である。不安定な政府、極端な国家主義者が形成する土壌は、社会に極端な不平等を生む。だがこれらは最終的に制度の崩壊に至るのだ。社会全体を巻き込むデモや運動はしばしば起きる。例えば、アメリカ合衆国では「ウォール街を占拠せよ」という抗議運動が起きた事が挙げられる。

不平等が拡大すればするほど、社会階層間の移動は起こらなくなる。これは遊牧民の子どもがハーバード大学に入学したという例が見られなくなるということだ。このような社会では、政治家の子どもは政治家になり、遊牧民の子どもは遊牧民になるという「代々受け継いだ遺伝性実力主義(Hereditary Meritocracy)」が形成される。そのため、すべての子どもに差別なく質の高い、平等な教育を提供することが公正な社会の礎になる。

教育とは、不平等を無くすための重要な手段である。フィンランドはこのことを十分に理解し、教育制度の改善を図った。1970年代初頭、フィンランドでは生徒の学習評価結果(成績)の格差は大きく、社会に境界線を引き、格差を作り、分断が起きていた。そこでフィンランド政府は平等、恩恵、団結といった3原則に基づいた教育改善政策を1980年から始めた。

今日、フィンランドは世界でも最も国民が高い学歴を持つ国となっている。教育制度はすべての国民に対して平等に機能している。フィンランドのすべての学校は国有である。少数の独立した学校はあるが、予算は国から出ている。教師は生徒の学習結果(成績)を管理しない。「フィンランドの成功」の秘密は、教師にあると言われている。教師は指導計画、教育カリキュラムを作成し、独自に指導を行う。教師は最低でも修士課程を終了していなければならない。だがその学費は政府が負担する。教師が自身の専門性向上を図る環境は十分に整備されている。具体的には「教員の育成‐国の発展」という過去のデファクト論説に詳しい。

韓国では、教育大臣が個別のカリキュラムを持つ私立学校を閉校することを昨年発表した。私たちは子どもたちを差別するのではなく、平等に教育の機会を提供できる環境整備を目指すべきである。

離脱もしくは発言の選択肢

私立の幼稚園・小中高校の授業料を定める際に、その地域の平均収入を考慮し、当該学区の子どもを受け入れた場合に補助金を交付するようにすればよいだろう。しかし、今の私立学校は子どもを能力で選抜し、当該学区の子どもを受け入れていない。さらに、私立の学校は高い授業料を保護者から徴収しているにも関わらず、政府は生徒数によって補助金を交付している。

実際これを法律として可決している。教育法41条1項に「私立の教育機関の財源は設立者の資産、生徒一人当たりの国からの補助金、授業料、寄付金、ソフトローン、学校自体の事業活動収入から構成される」とある。2020年5月27日の閣僚会議で、私立学校や私立幼稚園に対して総額502億トゥグルグの補助金交付が決定された。

モンゴルでは小中高校教育の格差が、生涯の格差となりつつある。

アルバート・O・ハーシュマンは著書「離脱・発言・忠誠 (Exit, Voice and Loyalty)」のなかで、如何なるサービス、システムもその質が低下し、効果がなくなる時、人々は離脱もしくは発言という2つの選択肢に至る。そのシステムから離脱できる機会が容易であれば、人々は発言せず、改善も要求しなくなると説いている。

モンゴルでは現状のシステムから大勢が離脱しつつある。より質の高い教育を受けた者は、世界のトップレベルの大学に留学し、帰国してもまたすぐに外国へ出ていくようになった。これを頭脳流出(Brain drain)という。高度な知識や能力を有する者は、先進国で働き、生活し、夏休みでモンゴルに帰国して休暇を取り、親戚などと年に1回会うといったことは、今では珍しくない。 モンゴル社会が次の段階へと発展するか否かは、質の高い一般教育をすべての国民に平等に提供できるかどうかによる。今日のモンゴルの教育政策によって、これからの30年の発展が決まる。

ダムバダルジャー・ジャルガルサイハン