民主主義とは、国民の多数派の選択によって政権が形成されることをという。立法、行政、司法の三権が独立する民主主義の政府は、国民の経済活動に自由を保障する。国民の権利、生命、財産を保障することで、国民の生活水準は向上し、国家は発展の道を歩むことができる。

しかし、多数決とはすべての国民の総意ではないため、社会が一体となって機能することは不可能である(ジョン・ロック)。そのため、多数決はある期間においてはプラスの結果をもたらすが、特定の状況下でマイナスの結果を生み、時として機能の変更や改善を必要とすることを歴史が教えてくれる。

ハーバード大学の学者であるサミュエル・ハンティントンは、この一進一退を繰り返す状況を「民主化の波」と定義した。歴史を俯瞰してみれば、今日、人類は民主化の第三の波を乗り越え「民主化から後退」しているという。

第一の波は、1826〜1920年にアメリカの独立宣言を起点とし、後にフランス、イギリス、カナダなど先進30ヵ国に波及した。1922年にイタリアでベニート・ムッソリーニが政権に就いてから第一の波が弱まり、民主化の後退が始まった。

第二の波は、第二次世界大戦後に始まり、世界20ヵ国に民主化が広まった。この時、波が小さくなり、流れが止まるようになった。その主な要因は女性に参政権がなかったからである。第一の波を受けたスイスでは、1971年にようやく女性が参政権をもつようになった。

第三の波は、1974年にポルトガルのカーネーション革命によって始まり、80年代にラテン・アメリカ、東アジア諸国、90年代にソビエト連邦が崩壊してから東ヨーロッパ諸国に続いた。この第三の波は2001年9月11日の同時多発テロの後、アメリカが「対テロ戦争」を宣言したことによって弱まり始めた。2008年の大規模な世界金融危機以降、タイ、フィリピン、トルコ、ポーランドなどをはじめ、多くの国は民主化から後退した。各国を見ると、その国独自の民主化の波があると一部の学者はみている。

第三の波

民主化の第三の波は、21世紀が始まる頃には110ヵ国に波及していた。1990年代から多くの国が独裁主義、全体主義体制から民主主義体制に移行した。しかし、2006年からこの波が静まり、スタンフォード大学のラリー・ダイアモンド教授が指摘したように、一部の国では「民主化の後退」(Democratic backsliding)が始まった。民主化の後退には4つの形態があると言われる。1.軍によるクーデター、2.違法に投票を獲得する不正選挙、3.政権与党による民主主義体制の弱体化、4.行政府による立法府、司法府の支配である。

民主化の後退がどの様な形で行われようと、まず市民社会の声を黙らせることから始まる。つまり、国民の団結、デモ活動、言論の自由を直接的、間接的に制限する。政府は市民社会の基盤となる非政府組織(NGO)に関連する法律の改正を行い、資金調達や活動を監視し、規制する形でNGOを抑圧しようとする。この動きは過去4年間に世界60ヵ国で見られる。

ポスト共産主義体制下で、NGOの活動を最初に、そして最も効果的に抑圧できた国はロシアと中国である。最近、同じ様な動きがモンゴルでも始まっている。

ロシアは「外国エージェント法」を2012年に可決成立させ、NGOの活動や財源を制限した。この法律では、外国から資金を受けている、または政治活動を行っているNGOは「外国エージェント」として政府機関に登録しなければならないと定め、法務省が「直接」検閲、審査するようになった。この法律は国際機関から大きな批判を受けることとなった。そしてこの法律に対してV.ルキンという一般市民が、2013年に憲法裁判所に訴えを起こしたが、何も変わらなかった。

1990年から民主主義体制に移行し、最も安定していると言われていたハンガリー、ポーランドなどの国々でも民主化の後退が見られることには驚きを隠せない。

ハンガリーでは多くのNGOが閉鎖に追い込まれた。ブダペスト生まれの投資家ジョージ・ソロスが設立した国際的な助成財団であるオープン・ソサエティ財団は「国民の敵である」とオルバーン・ヴィクトル首相が名指しで非難した。オルバーン・ヴィクトル首相は、中東からヨーロッパへの難民流入にこの財団が積極的に関わったとして、国家の安全を脅かしていると主張している。ハンガリー政府は2016年4月に高等教育法を改正し、オープン・ソサエティ財団が設立した中央ヨーロッパ大学を閉鎖に追い込み、国外へ追放した(M.Szuleka 2018)。

また、2017年には「外国資金調達団体の透明性に関する法律」を可決し、ハンガリーで23,000ユーロ以上の資産を保有する団体に対して、ウェブサイト、パンフレット、あらゆる印刷物に寄付者全員の名前を公表することを義務化した(M.Jensen 2017)。このルールを守らなかった場合、2,900ユーロの罰金が科され、2度違反した団体を閉鎖するとある。ハンガリー政府はこれについて、マネーロンダリング、テロ組織の資金調達を防ぐことが目的だとしている。

ポーランドでは2017年9月に、市民社会開発ナショナルセンターという首相直轄の新たな機関が設けられた。このセンターはポーランドおよびEU(欧州連合)の国際NGOに対して支援を行っている。ただ、ポーランドの政府与党は、NGOを悪い(リベラル)、良い(保守)と区別するようになった(Cianetti Dawson Hanley 2018)。これがポーランド政府に批判的なNGOにとって打撃となり、特に外国から支援を受けているNGOには悪影響を与えている。

ポーランドでは、社会の少数派の問題を取り上げるNGOにとって状況はもっと厳しくなっている(Zuleka 2018)。ポーランドでは人種差別に反対し、難民を支援している「ウォッチドッグ」の役割を果たす団体がその影響を最初に受けている。

また、ポーランド政府はマスコミを通じてNGOを批判し、社会全体にNGOの存在意義と名誉を貶める働きかけをしている。政治家を批判したNGOの代表を監視し、捜査するようになった。2016年10月には妊娠中絶禁止法に反対するデモの主催者たちの家や活動拠点を家宅捜索した(市民社会持続可能性指数2018)。

モンゴルの現状

モンゴル政府は1997年に非政府組織(NGO)に関する法律を初めて可決成立した。

2019年6月現時点では、モンゴルに21,040のNGOが登録されているが、そのうち積極的に活動しているのは8,500の団体である。これらのNGO団体の多くが非営利目的で、公共のための慈善活動を実施している。モンゴル政府は、先進国では一般的に普及している「公共の利益を守る」、「政府活動を監視する」などの活動を目的としたNGOは少ないとみているようだ。

法務・内務省、法務政策課のP.サインゾリグ課長は「モンゴルにあるNGOは環境、社会福祉、教育、政治、宗教といったすべての分野で活動している。これらの大半が鉱業に関連しているか、鉱業周辺の分野で活動を行っている。そのため、NGOの他に非営利団体に関する法律が必要である」と述べた。さらにモンゴルのNGOの多くは外国の出先機関のようになっているため、活動の財源をモンゴル政府が担うべきだ(モンゴル政府の管理下に置く)と言っていた。

これを受けて元副首相のB.エンフバヤル氏は、「そのような法案を作成するべきである。モンゴルのNGO全体の80%が外国から資金を受けている。NGOを監視し、審査や評価をしなければ、マネーロンダリング、テロ活動の危険性が高まる」と話している。だから、モンゴル政府もNGOを「整理」する取り組みをすでに始めている。

モンゴルのように民主主義の歴史が浅い国では、NGOは組織的にまとまっておらず、発展していない。この様な段階でNGOへの外国からの資金を断つことは、活動停止に追い込むということである。モンゴルにはまだ慈善活動の文化が根付いていない。

このように多くの国で民主化の後退が広がりつつある。この2、3年の間にモンゴルで起きた出来事をまとめてみると、民主化の後退が始まったといっても良いだろう。 今こそ、マスコミや市民社会が声を上げ、団結する時ではないだろうか。

ダムバダルジャー・ジャルガルサイハン