国家の繁栄と平和な暮らしは、民主主義と自由市場経済を礎に創造されるものだ。自由市場経済の確立が、国民生活の豊かさに最も影響を及ぼす。しかし今日、自由市場経済は大いに批判を浴びるようになった。

自由市場経済、つまり資本主義経済は社会における不公平を助長し、人類を消費社会へと導き、それが気候変動をもたらしているなどと批判される。自由市場経済は、経済を正しく効率化できないとする意見も散見される。

今日の資本主義を2つに分けることができる。1つは公平な競争による自由市場経済、もう1つは不公平な競争による経済で、これは政府という名のエンジンが原動力となっている経済を指す。後者は縁故資本主義(Crony Capitalism)とも言われている。この縁故資本主義は新興国において急速に広がり、自由市場経済の本質からはかなり逸脱している。縁故資本主義の拡大が、人々に資本主義を懐疑的なものにしているとウォール・ストリート・ジャーナル(2015年)は記した。

縁故資本主義とは、政府が企業と密接に繋がり、特定の企業に対して融資や許可の交付で優遇される措置をとること、そして競合他社の参入機会を阻害し、市場の独占を手助けすることをいう。これらは、制定された法律規定によって行われるため、腐敗にはあたらない。しかし、法制化した窃盗といわれている。

縁故資本主義指数

縁故資本主義という言葉は1997~1998年のアジア通貨危機の時に生まれた。このアジア通貨危機は、インドネシアやタイの縁故資本主義が根本原因だとカリフォルニア大学の研究者アンドリュー・マッキンタイアーは言う。東南アジア諸国を襲ったこの危機は、高金利を狙い短期運用で利益を上げることを目的とした大量の資金流入が発端だ。過剰な国内投資によりバブルが発生し、経済危機を招いた。この大量の資金流入は、これらの国の政府官僚とその親族が関わる企業によって行われた。

エコノミスト誌は、つい最近(2014年と2016年)「縁故資本主義指数」を発表した。まず、独占の可能性が最も高く、政府の許可(ライセンス)を必要とし、政府に最も依存しているカテゴリーとして、カジノ・鉱物資源採掘・軍需産業・銀行・インフラ・不動産・建設・非鉄金属加工・水道事業・通信サービスなど10分野を選んでいる。そしてフォーブス誌の情報を基に各分野の財閥がもつ資産額を国内総生産と比較して指数を出した。比率が高ければ高いほど縁故資本主義により経済が阻害される。

この調査は、2016年に世界23ヵ国を対象とした。2014年の指数では香港、2016年にはロシアがトップとなった。ロシアの各10分野における財閥の資産総額はロシアのGDPの18%に相当する。

モンゴルで繁栄する縁故資本主義

モンゴルではこの指数が上がる条件が整備されつつある。先に述べた10分野のうち、鉱物資源採掘・銀行・インフラ・不動産・建築・通信サービスの分野が該当する。では、この中で政府の決定を出す権力者、元指導者が関与していない分野はあるのか?答えはノーだ。モンゴルには自らのビジネスに関係する法案を通す国会議員、国家予算で身内のビジネスに優先権を与える閣僚、銀行を所有する議員は少なくない。

モンゴルでは、一企業に独占されない分野でも縁故資本主義がはびこっている。政府高官や政治家の中で、ノンバンクや私立大学を所有していない者、民営化の過程で不動産を取得していない者、鉱物資源ライセンスを持っていない者、報道機関のオーナーになっていない者を探すのは難しい。彼らは自分たちのビジネスに有利に働く法律を策定し、様々な優遇策を受け、市場での優位性を確保している。

モンゴル政府は幾つもの基金や国営銀行を設立し、政治家たちが経営する企業のために国債を発行し資金調達を行った。ボグド山、ウランバートル市内の遊園地など、それらの土地を自分たちの利益のためだけに売買してきた。価格維持プログラム、住宅ソフトローンという名目で自分たちの銀行、建築会社に資金を投入してきた。物価が上昇し、国民の購買力は低下した。返済の見込みがない巨額なドル建て融資を受け、その結果通貨トゥグルグが暴落した。

15人の国会議員が中小企業開発基金から数十億トゥグルグの低金利融資を使い、自分たちが所有するノンバンクを通じて資金洗浄をしていたことが発覚した。しかし、以前にあった数多くの汚職事件同様、今回も静かに国民が忘れることを待っている。

このように縁故資本主義、つまり政府の「エンジン」で進むビジネスが盛んなモンゴルには、個人の才能、資産、能力によるビジネスは行き詰まり、雇用が縮小し、国民は海外に職を求めるようになった。

縁故資本主義に対して民間事業組合や商工会が積極的に闘い、自由競争を確立させる必要がある。手遅れになれば、私たちを待っているのはベネズエラと同じような運命だ。モンゴル企業は、政府と結託して短距離を早く行くのか、自由競争の中で長距離を確実に踏みしめていくのか、どちらかを選択する時が来ている。

ダムバダルジャー・ジャルガルサイハン