古代ギリシャの神話に「息子が直ぐ死ぬと聞いた母親が、息子をステュクス川に浸し不死身にした」という話が書かれている。その時にかかとだけは浸されていなかったため、英雄アキレスはそのかかとを射られて死ぬこととなった。

アメリカ合衆国、第16代大統領エイブラハム・リンカーンは、「民主主義は人民の、人民による、人民のための政治」であると主張した。歴史的に見ても、民主政治こそが“人権”、“自由”、“生命”、“財産”を保障することに大きな成果をもたらした政治体制である。民主主義は選挙によって多数派が決定する制度であるため、多数派を代表して行政権を行使し、法律を立案し執行する組織は、その多数派である国民に対して報告するという説明責任を果たさなければならない。

そのため、政府の説明責任は民主主義の魂といえる。説明責任とは、政府(組織、個人も同様)が自らの政策を評価し、その結果について責任を負うことである。そしてその報告を公表し、透明であることを言う。

説明責任は、手続き型(Procedural)と実質型(Substantive)の2つに分けることができる。手続き型説明責任とは、民主主義の始まりであり、それは自由で公正な選挙を行い、法律の立案、施行、司法機関を設立することを言う。しかし、実質型説明責任という部分には、政府機関の活動の透明性、社会、経済発展、国民の平等性、異なる視点に対する寛大な対応、法の支配を重んじることなどが含まれる。

この2つの説明責任は、相互に影響し、作用する。例えば、社会経済の公平性、政治の公正性は選挙を通じて影響することなどだ。

手続き型説明責任は、民主的選挙などに代表されるように、複数の政党から自由で公正に選択する機会がある条件でのみ実施される。しかし、実質型説明責任は、政府が公約をどのくらい果たし、公共のニーズや要求をどのくらい満たしているのか、政府は国民に対してどのように対応しているかで表される。

つまり説明責任は、自由で公正な選挙によって選ばれた政府をもつ民主主義国だけに、そのあらゆる面で実在することができる。スカンジナビア諸国では、説明責任は完全に存在する。またシンガポールでは、例えば、手続き型説明責任の部分は弱いが、実質型説明責任の特定部分がより発展しているといえる。

実質型説明責任

シンガポール政府は国民の過半数が直面している問題や困難を十分に理解し、それを反映させた決定を出すため、国民は政府に対して満足している。政府は決定を出す前に次の4つの事柄を実施する。

  1. 国民による協議を実施する。例えば、Feedback Unit、Reachと言われるインタビューを影響が及ぶとされる部分で定期的に行っている。
  2. 考えられる政策のあらゆるバリエーションを公開する。
  3. コンセンサスを構築し、具体的な解決策を国民と協力して考え出す。例えば、道路に沿って作られる公共交通機関の停留所の位置は協議して決められる。
  4. 政策を協力して定める。言い換えれば、国民は政府機関と協力して政策を最初から考え、決定し、実施することができる。

また、もう1つの例は、一党(共産党)独裁体制で私たちの隣国である中国だ。政治学者Bruce.J.Dicksonは、中国の50の都市で4,000人を対象にした大規模アンケート調査を2014年に実施した。この調査で、中国人は中国を民主主義国家と考えていて、その民主主義の水準に満足しているという結果が出た。中国には手続き型説明責任の部分は存在しないが、実質型説明責任が存在するということである。政府は国民に対して、公約通りに対応し、特に医療、教育など社会サービスを質の高いレベルで提供することができているからである。

手続き型説明責任

モンゴルは1990年以降、7回にわたり国政選挙を実施してきた。この間、私たちは手続き型説明責任について学習できたと言っても良い。民主主義は形式的には実施され成功しているように見えるが、内容的には未だに成熟していない。これは実質型説明責任が弱いからである。

今日まで政権を連立して、もしくは交互に握ってきたモンゴルの二大政党は、過半数の利益のために務めて来なかった。彼らは政党を資金面でサポートしてきた特定の集団の利益のみを優先し、彼らのためだけに務めてきた。この現象を私は「エルデネビレグリズム」と呼んでいる。このエルデネビレグリズムについては、私が執筆した以前の2つの記事に詳しい。(エルデネビレグリズムエルデネビレグリズムⅡ

エルデネビレグリズムは、1人の人物、もしくはある一つの銀行についての話ではない。これは政治の主要な勢力が、少数派の利益のために機能し、彼らのために法律を書き換え、裁判所や警察などの司法機関を彼らの手足とする集団のシステムのことである。

アキレス腱

今日、国民は自分たちの選んだ人物が自分たちを代表しているのか、国民の間にある社会問題を解決しようとしているのかを厳しく問うようになった。モンゴルでは、民主主義に対する国民の信頼が日に日に弱くなってきている。これは実質型説明責任が弱いからである。

モンゴル国民は、政府が国会議員や閣僚といった100人にも満たない少数の人だけで運営されていると考えている。しかし、その裏には約10万人の公務員がいる。どのような地位でも公務員が出している決定はすべて政策である。民主主義における説明責任制度の具体的な内容は、あらゆる決定を出す公務員が責任を負うことである。この責任について言えば、法律による規制は既に施行されているが、実際には機能していない。

例えば、この法規制には一般行政法、情報の透明性、国民の知る権利についての法律が含まれる。これら法規制が機能しない主な原因は、政府の役職を「600億トゥグルグ」で売買していることにある。

ダムバダルジャー・ジャルガルサイハン