政党という言葉は、西欧の歴史において政治における対立、分断、紛争の代名詞となってきた。政党(Party)とは、「側、部分」(Part)という言葉に由来し、政治的対話、ディベートなどの場面で中世末に初めて出現したと言われている。

世界の政治や民主主義の歴史において、政党は重要な役割を果たしてきた。それは今現在も変わっていない。アメリカ合衆国の政治学者E.シャットシュナイダーは、1942年に「政党は民主主義を作った。近代民主主義は政党なくして確立されなかった」と論じた。

モンゴルに初めて政党が作られて100年、政党政治というシステムが形成されて30年が経つ。モンゴルの歴史は世界の政治、地域情勢に大きく左右されてきた。歴史を振り返っても、政党という組織は大きな存在感を示してきた。

モンゴルで100年前に政党が作られた当時の環境や条件は、西欧諸国のそれとは全く異なるものであった。西欧諸国では、政党は自らの意志によるもので、政治の上では「競争的な性質」を持っている。しかし、モンゴルにおいては、政党によるこの競争的な性質は複数の政党が出現し、政党政治のシステムが形成された30年前から見られるようになった。

政党システムとは、2つもしくはそれ以上の複数の政党が相互に作用し、存在することを言う。モンゴルは民主主義憲法を可決成立させ、多党制度を認めるようになってはじめて政党システムが形成される条件が整った。

民主主義の成熟度は、政党システムが組織化されているか否かによるものである。政党と政党システムの組織化はそれぞれ別の概念である。政党の組織化については、以前書いた論説「崩壊する橋」に詳しい。政党システムの組織化とは、政党間の競争が健全で、政党の理念方針が明確であることを言う。モンゴルの政党システムは果たして組織化されているだろうか?

政党システムの組織化

政党システムの組織化を測定する尺度は多様である。政党間の競争がどの程度安定しているかを示す重要な指標の1つに、有権者の投票変動がある。これは、ある選挙とその次の選挙の期間で、政党システムにおいて生じた変化を示すことである。この変動が小さいほど、政党システムが安定しているということである。

現在、モンゴルでは人民党以外の政党の立場や理念方針が不安定である。これは各選挙の投票変動からも明らかである。人民党は各選挙において、今まで平均して有権者の46%の支持を獲得してきた。しかし、この間に民主党は平均して有権者の33%の支持にとどまっている。

モンゴルでは、平均して1990〜2000年の期間に23.7%、2000〜2010年の期間に14.2%、2010〜2020年の期間に13.2%の票が政党間を行き来している。この変動は、民主主義移行後の最初の10年間が最も高くなっている。東欧の旧ソ連諸国にも同様の傾向が見られる。その理由は、民主主義へ移行して間もない国々では、社会における境界線や差別が強くなかった。また、有権者は相対的に開放的だったことが挙げられる。

今日のモンゴルの政党システムは、旧ソ連諸国の中で最も閉鎖的なものとなっている。多数派、過半数の原則によって選ばれる制度が、逆にこの閉鎖的な政党システムを作った。今日までの歴代大統領、首相等は人民党と民主党という二大政党から選出されてきた。その理由は、彼らは選挙の度に自分たちの都合に合わせて選挙のルールを変えて来たためだ。つまり、選挙法を自身の政党に都合良く変えて来たのだ。権力者たちは閉鎖的な政党システムを、更に強固なものにしている。

閉鎖的な政党システムからの脱出

閉鎖的な政党システムを脱するためには、比例代表制の要素を含んだ選挙制度にすることである。2012年の選挙法改正は、二大政党による政党システムの解体を明確にした。その時に初めて第三の政党が国会に10議席を獲得した。また、他の政党も合わせて有権者の28%の支持を獲得した。

多数派・過半数の原則によって選ばれる選挙制度において、少数政党への票は効力を失い、ただ一つの政党への投票数が多数を占め、勝利する。モンゴル国会の議員定数は少ない。立法と行政制度の境界線が明確に引かれていない。その結果、権力の監視とバランスが常に失われ、政治的危機を招き続けている。

ガバナンスの監視と三権分立を維持するためには、国会に複数の政党から代表が選ばれることが重要である。今まで二大政党のシステムを構成してきた民主党は弱体化している。地政学的に見ても、モンゴルは権威主義体制の国々に囲まれている。そのため、ただ一つの政党が過半数を占める現在の状況は危険であると認識すべきだ。 「モンゴルの政党システムの組織化」報告書全文をここから入手できる。

ダムバダルジャー・ジャルガルサイハン