「私は裁判官として正義に基づく司法の義務、モンゴル国憲法の秩序、基本的人権、自由、正義、法の支配を尊重し、これを維持します。事件や訴訟に何人の干渉も認めず、モンゴル国憲法及びその他の法律のみに従い判決を下し、裁判官としての責務を遂行することを国民に約束し、ここに宣誓します。もし、私がこの誓いを破れば、裁判官を直ちに辞任し、法律に則って責任を負います。」裁判官の宣誓(裁判官法、2012年3月7日)。

すべての裁判官はこう宣誓した上で裁判官の職に就く。しかし、全ての裁判官がこの宣誓を厳格に守っているわけではない。モンゴルでは裁判官自身が賄賂、犯罪、麻薬事件に関与するようになった。裁判所は多くの贈収賄事件や汚職事件を解決できていない。いくつかの事件は時間をかけ過ぎ、時効がきて犯罪者を無罪放免にしている。損害賠償を条件に、もしくは恩赦として事件を解決することが常態化した。10年前、賄賂対策機関が設立された。しかし、腐敗指数においてモンゴルは前進するどころか後退する一方である。

2020年の国政選挙を前に、公判が開かれる回数が急増し、判決の迅速化が目立ち始めた。この裁判所が突如目覚めたようなスピード判決は何を意味しているのだろうか?裁判官の任命は大統領によるところが大きい。バトトルガ大統領は、活動方針として正義を継続的に維持し、人権を尊重すると掲げてきた。バトトルガ大統領が「汚職、贈収賄事件へ関与した者、オフショア口座を持ち利害関係があることが明らかになった者には、厳しく責任を追求し、辞職させ、損害を賠償させる」という公約を唐突に思い出し、裁判所がこれに応えたということなのか。

大統領になって既に3年という月日が経ち、もうすぐ次の大統領選挙となる。バトトルガ大統領は再選できるだろうか?彼は国民から「公約を果たしたか」と聞かれて何と答えるのか?こういったことが大統領を急かし、裁判官を急がせたようだ。また、人民党(訳注:現政権与党は人民党だが、大統領は民主党)もこれらのスピード裁判に影響していないという保証はない。もしそうであれば、誰からも独立して義務を務めると宣誓した裁判官たちは、政治家の言いなりとなったのか。

裁判と選挙

2020年の国政選挙の選挙運動が始まった際、政府の中でも高い地位にいた数名が公判で懲役刑を言い渡された。彼らは元国会議員、元内閣閣僚、そして元首相の3人だった。それと国有企業の幹部も含まれていた。彼らはオユトルゴイタバントルゴイなどの大規模鉱山プロジェクトをめぐる事件に関与したという。以前からこの2つの大規模プロジェクトは、モンゴルの政治家たちにとってのある種の(金を生む)ツールとなってきた。これらの大規模プロジェクトの実施に関して、政治家たちはその職権を濫用し、贈収賄の温床となってきたと長年マスコミで報じられてきた。

多くの人々が捜査され、逮捕と釈放を繰り返したこれらの事件をモンゴルの裁判所が解決することを国民は長らく期待してきた。しかし、総選挙というタイミングでこれらの事件を急いで解決したことが政治の指示によるものかという疑問を浮かび上がらせた。

選挙後、新しい政権が発足した。中小企業開発基金から低金利融資を自分が関与している企業に交付した前国会議員(G.ソルタン氏:懲役3年、B.バトゾリグ氏:4,000万トゥグルグの罰金、B.オンダルマー氏:懲役2年6ヶ月、D.ダンバ-オチル氏:懲役3年6ヶ月)が裁判で判決を受けた。

しかし、国会議員に再選された議員たち(G.ザンダンシャタル氏、G.テムーレン氏、N.ウチラル氏、B.サランチメグ氏、B.バトトゥムル氏、Kh.ボロルチョローン氏、B.エンフ-アムガラン氏、B.ジャブラン氏)は議員特権を有しており、起訴されることもなかった。

モンゴルでは、国会議員になると法律で保護された特権を持つようになる。懲役刑の判決を受けた前国会議員の一部は(N.ノムトイバヤル氏、J.エルデネバト氏、S.バヤルツォグト氏、Da.ガンボルド氏、B.ビャンバサイハン氏)、国政選挙に立候補していた。彼らは逮捕されたが選挙運動を継続しようとした。だがそのために以前まで聞いたことのないような多額の保釈金(20〜100億トゥグルグ)を要求され、その保釈金が支払われなかったため選挙期間が終わるまで勾留された。J.エルデネバト氏は現職の国会議員で、今回の選挙に立候補していたが勾留された。それでも再選を果たした彼は、刑務所に服役する国会議員の唯一の事例となった。国会は懲役刑を逃れるための場所になっているのだろうか?

魔法がかった裁判所

政府の公職を悪用し、財産を横領する行為を腐敗という。賄賂を受けた者は、どれほど公共の利益のために慈善的活動をしようと、正義の名のもとにその責任を負うことになる。正義を求める国民は、特定の腐敗事件に関する裁判の判決の重みを理解している。

しかし、いくら裁判官が国会や内閣の意思決定に従い、裁判官が務める職務権限に従事し義務を果たしていると言え、事件の重大性に対してそれに見合う判決を下しているとは言い難い。例えば、B.ビャンバサイハン氏、Da.ガンボルド氏に対する判決の根拠は、国家に入ってくるはずの数十億トゥグルグの税収を減少させたものだと言う。だが実際には、内閣が決定を出し、首相が署名した契約だったはずだ。それなのになぜ彼らに責任を負わせたのか。

また、元首相M.エンフサイハン氏に対しての裁判は、タバントルゴイ・プロジェクトの契約を妨害した罪(刑事法19.6)、役職権限を悪用し特定の企業に優先権を与えた罪(刑事法22.1.1)で起訴したものだった。だがこの裁判は数年間もつれにもつれ、最終的に職権濫用罪(刑事法22.1.2)での判決を受けることとなった。大規模プロジェクトの契約に関する不正の罪で捜査されていた事件が、7,500万トゥグルグの自動車を1億3,000万トゥグルグで買ったという罪となり、懲役4年6ヶ月の判決を受けた。

現在、エルデネト鉱業の株式49%を不正に取得した事件の裁判が行われている最中である。この事件もまた、どのように解決されるかを市民社会は注意深く見ている。政治により長年延期されてきたこの裁判を、裁判所はどれだけ政治化して解決するのだろうか。

正義

これらの汚職事件は、モンゴルの法律がすべての人に平等に機能していないことを示している。司法制度の従事者は、法律を権力者の指示に合わせて運用している。そのため、誰もが権力のために争い、権力を手に入れた後は裁判所を自分たちの管理下に置くために闘うようになっている。

過去10年間、私たちは誰が権力を握っているか関係なく、「独立した司法制度の構築」を話して来た。そのための憲法改正も行った。今、その改正された憲法に適合するよう、司法統括法を改正しようとしている。内閣と大統領は、それぞれ法案を作成している。この法律がどのように可決成立されるかによって、モンゴルの正義が構築されるかどうかが決まる。 司法権に対する行政権の影響(越権行為)を禁じることができるかどうかも、この法律の内容にかかっている。今回の司法統括法の改正で、“国家安全委員会”という強力な行政権力をもつ組織が裁判所へ影響を与えることを完全に阻止すべきである。

ダムバダルジャー・ジャルガルサイハン