2019年10月、モンゴルは金融活動作業部会(FATF)のグレーリストに登録されることとなった。モンゴルがグレーリスト入りするのはこれで3度目である。グレーリストに長く留まることとなると、欧州連合(EU)のブラックリストに登録されると、EUの代表部が2019年11月にモンゴル側へ通知してきた。そしてついにこれが現実のこととなった。EUは、加盟28ヵ国の金融システムの健全性、安全性を維持し、マネーロンダリング、テロ資金供与を防止するために2017年からブラックリストを設けている。
FATFのグレーリスト入りする前に、「グレーに染まった政府」という記事の中で、モンゴルはFATFが提示した11項目からなる有効性の評価のうち4項目を全く実施できていないこと、その実施していない4項目について詳細を述べた。しかし、モンゴルの中央銀行に当たるモンゴル銀行は、モンゴルはグレーリスト入りの原因となった4つの有効性の評価の半分を実施し、2月にFATFに報告したと発表した。
モンゴル銀行は、FATFの11項目の評価のうち、どの項目を未だ実施していないのかを具体的に示してはいないが、それを予測することは研究者にとってそれほど難しいことではない。これは、有効性の評価11項目の第3番目の項目「金融機関・DNFBPの監督」、第7番目の項目「資金洗浄の捜査・訴追・制裁」である。特にこの第7番目の項目は、公共ガバナンスの重度の「癌」であり、つまりモンゴル政府を担保にした腐敗である。これは、新しい大統領が選ばれたとしても、司法の高官を交代させても「治療できない状況」である。その原因を追究して行けば、第7番目の項目の原点は第3番目の項目にあることが見えてくる。つまり、モンゴル銀行(中央銀行)による監査や監督が弱いことと直接関係している。
銀行王国
モンゴルに2階層の銀行制度が確立されて以降、30の商業銀行が設立された。そのうち多くの商業銀行が破綻し、今では13行が営業を続けている。モンゴル銀行に言わせれば、「市場の法則や法律により自己活動の失敗や欠点が原因」でほとんどの商業銀行が破綻したとのことだ。だがこれらの銀行破綻によって、数千人もの預金者が損害を被った。 2階層とは、第1階層として商業銀行があり、第2階層が商業銀行を監督する義務・役割を持つ中央銀行がある制度のことだ。そして中央銀行は商業銀行と同じ活動を行わないというのが常識である。だが残念ながらモンゴルにおいて、この2階層は区別されていない。中央銀行が商業取引を行い、商業銀行が中央銀行を監督しているようだからだ。
第1に、モンゴル銀行(中央銀行)は各商業銀行を監督できていない。それは周知の事実である。モンゴル銀行の監督部局は、各商業銀行の事業活動を毎年監視し、口座のすべての取引を監査する義務がある。例えば、監査で不正な取引を発見したらリスク防止措置を取り、銀行の管理者に厳格に忠告するべきである。
しかしモンゴル銀行による監視が行き届いていないため、今まで多くの銀行が破綻し、その結果モンゴルは国際的なグレーリスト、ブラックリストに載るようになってしまった。モンゴル銀行の監督活動とは名ばかりで、あたかも商業銀行を監督しているように見せかけ、差別的で違法行為に力を貸してきたことをこれらの出来事が証明している。この監督部局の長を誰が任命して来たのか、その人物がそれまでどこで(またはどの銀行で)、何をしていたかについて経歴を公表する必要がある。
モンゴルのグレーリスト入りが決まったとき、国はモンゴル銀行の総裁と金融規制委員会の委員長を解任した。だが新たに任命された後任の人たちは、今のところ何も改善したというものは見られない。経済も低迷したままで、そしてEUのブラックリストに載ってしまった。
各商業銀行の資本の10分の9は国民のものであり、わずか10分の1がオーナーのものである。だから銀行の事業活動は公共性が重視され、透明でなければならない。しかし、モンゴル最大の商業銀行のオーナーの顔を誰も見たことがなかったほどだ。人々は1年前にそのオーナーの顔を逮捕の際に少しだけ見ることができた。だが彼は直ぐ釈放され、海外に逃亡し姿を消した。その人物はD.エルデネビレグと呼ばれ、政府の権力者たちと共謀し公共の財産を国民の金で手に入れてきた。Ts.ニャムドルジ法務大臣が何度も発表してきた「エルデネト鉱業」や「モンロスツウェットメト社」の株式取得に関する事件が実例として挙げられるだろう。 しかしその事件も、今日では殆どのマスコミで報道されることもなく、裁判所すら彼を忘れているようだ。先日、L.オユン・エルデネ内閣官房長官は「被告人として起訴されていた者たちは恥を知ることなく、今回の国政選挙に立候補するようになった」と語っていた。今でもモンゴル政府の悲喜劇が続いている。
第2に、政府は海外から数十億ドル規模の融資を受け、非効率かつ秘密裏にその資金を運用したことにより、政治の罠にはまり負債を負債で返済するようになった。仕方がなく国際通貨基金(IMF)につなぎ融資を頼み込んだ。IMFが提示した唯一の融資条件は、商業銀行の自己資本比率を引き上げ、破綻リスクを回避させるということだった。しかしモンゴル銀行はこの条件を履行することができず今日に至っている。
各商業銀行が、出所が不明な資金を充て自己資本比率を引き上げたことを国際的な外部監査機関は認めなかった。この件はその後改善されることもなく、モンゴル銀行は沈黙し、IMFからの資金が止まった。
第3に、公的資金を政府高官たちが商業銀行を通じて「高い金利から利益を得る」という腐敗が確立されて久しい。モンゴルは社会保険の数百億トゥグルグをこのようにして失った。その最たる例は、破綻したキャピタル銀行である。被害者は預金者、年金生活高齢者、納税者である。
モンゴル銀行の監督者たちが、この件について最初から知らなかったと言ったところで、誰が信じることができよう。彼らにとっては、見て見ぬ振りをする方が有利だったのだろうか?
第4に、商業銀行は本業以外のビジネスを手掛けてはいけないという法律が施行されて2年が経っている。モンゴル銀行はこの法律を失念しているようだ。各商業銀行のオーナーは、自前のノンバンク、報道機関、建設会社、軽工業や重工業企業、食品生産工場、自動車販売店などおよそすべての業種を少ない自己資金で営み、銀行の本来の顧客と競合し、彼らを倒産へと追い込んでいる。
第5に、国会議員、大臣、長官、政府およびモンゴル銀行のエリートたちは、自分たちのノンバンクを所有し、それを通じて低金利の公的資金を流用し、高金利で貸し付けて利ざやを稼いできた。最も分かり易い例は、あの有名な中小企業開発基金の事件である。
モンゴル銀行は、金融機関を所有する人物を雇用しないという規則を打ち出したが、実際に実施されているかどうかは疑わしい。政党がモンゴル銀行の高官に誰を任命するかを決めている。例えば、モンゴル銀行の副総裁の席は政治家の親族だけに予約されるようになった。 モンゴル銀行はスワップという低金利外貨ローンを受け、一部関係者を通じてのみ貸し付けるようになった。一部の大企業も外国から受けた低金利外貨ローンを利用目的以外に使用し、個人の口座を通じてトゥグルグの価値を下落させることが常態化している。
貸出金利はなぜ下がらないのか?
このように中央銀行と商業銀行はその役割を曖昧にしているため、多額な資金が金融システムの中を高金利で回っている。政府から“生まれた”億万長者、つまり腐敗者たちに対して、商業銀行は高い預金金利による利益を我先にと提供している。これが銀行の預金金利、さらには貸出金利を引き上げて来たことは誰もが知るところだ。預金は少数の人に過剰に集中しているため、貸出金利を下げることは不可能となっている。
権力者たちが政府の各基金の資金をどのように自分たちのいいように流用してきたかを、先日の健康保険基金の元理事長の逮捕が示している。ハーン銀行は、1千億トゥグルグの基金への預け入れ金を償還日に受け取っていないとし、18億トゥグルグの損害金を請求したため、関係者を捜査している。モンゴル銀行はまたもこの件を与り知らなかった。もし知っていたら、この件を賄賂対策庁ではなく、モンゴル銀行が発表していただろう。
韓国の銀行改革
1997年、IMFは韓国の通貨危機の際に、総額580億ドルの包括的プログラムを実施した。韓国の商業銀行27行のうち2行は返済能力がない、12行が自己資本不足に陥った状況だった。韓国の金融システムにおいて重要な2行を国有化し、小規模5行を閉鎖し、一部小規模銀行を大規模銀行と合併させた。4年以内で政府の銀行所有率は33%から54%に上昇した。その後も破綻した大手行5行、地銀3行を政府は国有化した。
2000年にはHanbit、Peace、Kwangju、Kyongnamなど4行を国有化し統合した。翌年、総資産で市場の3分の1を占めるKookmin銀行とHousing銀行の経営統合を許可した。
このように金融の構造改革(Restructuring)を実施し、資本増強(Recapitalize)を行い、不良債権を処理した。これらを実施するために、財政システムに多額な資金、およそGDPの30%相当の資金を政府の債券、国家予算から拠出した。そして政府は国有化した銀行を直ぐに民営化した。韓国国内には財閥(チェボル)のみが潤沢な資金を持つようになった。
しかし、韓国政府は非金融機関が商業銀行の議決権付きの株式(Voting Share)の4%以上の保有を法律で禁止するようになった。当時の韓国では、通貨危機がチェボルに過大な融資を交付したことに原因があるとみられていた。
金融危機の状況下では、投資を募るためには外国人投資家に頼る他に選択肢が残されていなかった。そのため韓国政府は、外国人投資家に閉鎖的だった法律や規制を改訂し、金融市場を開放した。1999年12月にKorea First銀行の株式51%をアメリカのNewBridge Consortiumが取得した。2001年にはKorAm銀行の株式40.7%をアメリカのCarlyle Groupが、2003年にはKorea Exchange銀行の株式51%をアメリカのLone Starがそれぞれ取得した。
8年間で、韓国の金融市場で外国企業が所有する銀行の割合は8%から31%までになった。また、2002年に100%国有だったSeoul銀行をHana銀行に、2003年には国が株式の80%を保有していたChohung銀行と95.7%を保有していたJeju銀行をShinhan銀行に売却した。
これらの措置は金融分野の健全化、安定化を図るための短期的活動であった。この改革を一部の人は、縁故資本主義を終わらせるための良いきっかけとなったと言う。これとは対照的に、一部の人は納税者の税金で銀行を救済し、外国人投資家に喜んで渡し、国内の投資家を差別したものだと言っていた。 この大きな改革は、世界的な政治的侵略、市民の大きな批判の中で成功した。その時からウォンの為替レートは長期にわたり安定するようになった。
韓国の出口が映すモンゴル
韓国は金融分野の危機からどのように脱出したのか。それを探るとモンゴルの状況を解決する糸口が見えてくる。金融分野が政界や財界の団体によるロビー活動によって、どのように危機に陥るのかを見ることができるからだ。しかしモンゴルは、一握りの権力者による行為を見て理解してはいるが、それを改善するどころか金融分野が落ちる穴をより深く掘り続けている。
一部の銀行ではトップに権力が無制限に集中している。例えば、TDB銀行、キャピトロン銀行、ウランバートル銀行、これら3行のオーナーは同一人物である。モンゴル銀行はこれについても口を閉ざしたままだ。
ある国会議員は「銀行改革を行い、銀行のオーナーは1人ではなく最低5人で構成されるよう、法改正すべきだ」と選挙を1ヵ月前にして発言した。もし次の国会でそのように改革ができれば、商業銀行はかつてないほどオープンかつ透明で、公共の監視を受けるようになる。
この改革をどのように実現するのかは、韓国の例が参考になると思う。個人の財産を直接押収することは法律で禁じられている。だからこのような改革の実現のためには、市民社会と報道機関が積極的に声を上げることが重要だ。社会の大きなうねりとならない限り、貸出金利と失業率は下がらない。
金融機関の健全化を図るためには、まずモンゴル銀行がその義務を果たし、商業銀行の監督、責任追及を行わなければならない。また、モンゴルの司法制度は正義を持って銀行改革に取り組む必要がある。モンゴルの裁判所は、いつまでスポーツフィッシングをやるつもりなのか。(訳注:楽しく魚を釣るが、その魚をすぐにリリースしてしまう。モンゴルの裁判所は逮捕した犯罪者を時効などの理由を付けてすぐに釈放してしまう)
ダムバダルジャー・ジャルガルサイハン