「人権について話すとき、なぜ私たちは子どもの権利については分けて話すのだろうか?」多くの人がそう感じていることだろう。たまに「児童の権利だけを取り上げ過ぎている。もっと義務についても話すべきだ。そもそも西側の思想が広がり過ぎだ」という人がいる。しかし、このように話す大人は、時として子どもの信頼を得ていたはずなのに、子どもを無視し、年齢や性別、出自などで差別し、不道徳的な行動をとる。

子どもへの暴力

暴力とは、相手を殴ることや身体にアザを残すことだけではない。子どもへの不当な扱い、愛情の欠如、子どもの自信をくじくこと、子どもに侮辱、いじめ、脅迫、衝撃を与えるなど、暴力の形は多様である。

このことを大人はわかっていない。場合によっては、幼い時からそれほど良い環境で育っていない子どもは、危険や脅迫がない、喜びいっぱいの「良い環境で自分たちは育つべき」ということを想像もできないのである。

2016年に国家人権委員会や国際NGOグッドネイバーズモンゴルが共同で実施した「児童の権利と保護」という全国調査がある。この調査の対象となった子ども10人中8人は何らかの形の暴力を受けていた。そのうち2人に1人は身体的暴力、4人に3人は精神的暴力、3人に1人はネグレクト、8人に1人は性的虐待や性暴力を受けていたという結果が出ている。その頻度に関しては、子どもたちは身体的暴力を最も多く受けており、そのほとんどが家庭や学校で起きているという。

国際連合児童基金(UNICEF)は、2014年に東アジア・太平洋地域の子どもたちがどのような暴力を受けているかについて調査を実施した。この調査報告書には、モンゴル国における子どもへの暴力がどれくらい広がっているのか、その影響を示す数字や具体的な事例がないと書かれている。東アジア・太平洋地域全体では、5〜14歳の子どもの10人に1人が労働をしている。モンゴルでは、子どもの3人に1人が(平均して男の子3人に1人、女の子4人に1人)労働に従事している。

また、2〜14歳の子ども全体の46%、つまり子どもの2人に1人は精神的虐待、身体的体罰など暴力的な方法で育てられている。さらに子どもの4人に1人は、幼少期に何らかの不愉快な経験(家庭の良くない環境、暴力、同年代からのいじめなど)をしている。

これらの調査をみれば、子どもに対する暴力は、個人だけによるものではなく、家庭、学校、同級生、社会、文化、子どもを取り巻く環境など広範囲に及ぶものであり、異なる社会制度、施設、政策までもが直接影響するということが特徴的である。暴力の種類は多岐にわたるため、各分野の多種多様な関係者を含めて注視しなければならない。健康、栄養、教育、財政、社会および児童保護など、あらゆる分野に効果的かつ強固な協力関係、連携が重要である。したがって、子どもに対する暴力を撤廃するためには、犯罪者を死刑にするのではなく、社会生態学的モデルを利用し、政策決定は人権に基づき、より適切かつ将来を見据えて作成され、各段階に応じた決定を出し、実施されるべきである。

幸福のための人権意識

子どもは成人するまで他者からの助けや支援を受け、大人に直接依存しながら成長する。しかし、他の人のように人間として生まれたからには尊重されるべき存在である。自分の考えや経験を踏まえ、受け取った情報に基づいて自身が決定を出す権利を有する者である。そのため、子ども1人1人の発達を促し、暴力のない環境で育つ条件を整備するには、多面的当事者の参加が重要である。さらに政府、民間、地方における各分野の関係者は特に注視するべきである。如何なる暴力からも離れていることが、子どもだけではなく、すべての人の自己の有する人権を全面的に肯定し、幸せに生きる基盤となる。

B.ボロルサイハン(人権保護活動家)