Q1.高等教育はビジネスなのか?

高等教育はビジネス、それも大きなビジネスである。このビジネスは、知識を創出し、それを需要サイクルに回し、能力かつ教養のある人材を育成し、労働市場に供給し、社会が直面する様々な問題を科学的に解決し、国の発展を促進する独特なビジネスである。そのため、各国では、この分野に巨額な費用を投じ、またそこから利益を得ている。

いくつかの数字を示したい。2019年の時点でロシアのGDPに占める教育分野への支出は3.8%(Regnum.ru,2019)、中国は4.11%(Xinhuanet,2019)、モンゴルは4.7%(国家統計局、2020)であり、それぞれの国で国家予算全体に占める割合は2桁台となっている。例えば、2019年のモンゴル国の国家予算に占める教育分野への支出割合は15.3%に達し、前年の2018年より0.3%増加(国家統計局、2020)している。

国会議員、教育科学大臣L.エンフ-アムガランは、「…全88大学は、年間4,500億トゥグルグに相当するサービスを提供している…モンゴル人が毎年海外に留学するために4億ドルを費やしている」と発言した。(ウランバル、インタビュー)。

世界各国の高等教育機関が外国人留学生から得る収入は、例えば、アメリカの場合は予算財源のトップ10に入っている。オーストラリアの場合はこの種の収入は、同国の食肉、ウール、ワインの輸出による収入に相当するという。(ウラジーミル・フィリポフ、2021)

Q2.高等教育の改革はなぜ必要なのか?

政策や法改正の根拠は、当該分野における政府の政策、理念を変更し、新しい関係を調整する必要性から生じると言われる。教育、高等教育の質、アクセスビリティ、効率の改善、知識の応用、イノベーション開発、国際競争力の促進などによるこの分野の改革の必要性を多くの研究が指摘している。また、人々の高等教育への関心が高まり、自分自身も自分の子どもにも高等教育を受けさせたいという願望が強くなり、それゆえに高等教育に対する要求も高まっている。

これらは、高等教育の質の向上、制度の充実、コスト削減、アクセスビリティの対応を要求している。しかし、モンゴルで行われて来た数々の改革は、これらの要求に応えきれていないことが問題である。

2021年の春期国会で、一連の教育関連法の改正案および新しい法案が審議されようとしている。これらの法案が可決成立することによって、モンゴルの教育、その中でも高等教育が改革されると政府関係者は言っている。もともと、モンゴルの歴代政権は、教育法を幾度も「いじって」きた。教育法だけでも2002年の法改正以降25回も改訂に「晒されて」いる。これに伴って教育と関係する17の法律の改訂が行われ、しかも改訂は教育科学問題を担当する政府中央機関に知らされることなく行われてきたという。

繰り返されたモンゴル教育法の改訂の殆どは、表面的なものであり、教育の質や研究開発の促進というより、役職の任命、予算や財源において根拠のない、効率性を低下させる関与、圧力を法律化するという形で行われてきた。

周知のように、2020年12月下旬に全国の各段階の教育機関と、一連の教育関連法の改正案について電子会議が行われた。高等教育の改革と関連して大学の教授や研究者は2つの問題を重点的に取り上げた。1つは、大学のガバナンスの充実、政治から独立するという原則を法律に定めること。2つ目は、高等教育の資金調達、経済的独立を確保することを重視していた。

Q3.高等教育の改革をどこから、どのように始めるべきか?

まず、高等教育に対する見解、パラダイムを変えること。これには以下の4項目が挙げられる。

高等教育の資金調達は、授業料のみで非営利活動であるという伝統的なパラダイムから脱却する必要がある。これは利益を追求し、高額な授業料を徴収し、人々に圧力をかける「野生資本主義」ではなく、ビジネスの原則で活動し、利益を得て、それを学生のために、教育や研究活動に使う社会的企業原則に基づいた、独立した制度であると理解すること。

高等教育は、アクセスビリティが良く、家計の負担とならないように授業料に対する政府の厳しい監視があるべきという見解を変えること。授業料を引き下げる方法は、高等教育の資金調達の自由化、財源の多様性を認めることにあると認識すること。

高等教育は、教育だけでなく、研究の実施、知識の創出と応用を行う組織であることを確かめ、そこには投資が必要であることを認識すること。基礎調査は、取引手段ではないため、その開発に政府から政策をもって支援しなければならないということを認めること。研究のない学習は時代遅れであり、単に古い情報を伝達するだけの学問的システムであると理解すること。

高等教育を支援する政府の政策は、学資ローンの交付、国家予算から小額予算を割り当てるという慣例から脱却すること。政府の政策は、研究や教育活動を支援する予算援助と共に多様な形態の投資を奨励し、税免除、内部監査による圧力から独立した環境を整備すること、また、継続性や効率性に基づいていなければならないということを認めること。

Q4.政治から独立したガバナンスとは何か?

モンゴルの高等教育は、今まで人事権などで政治的関与が強かった。政治から独立するということは、政府から孤立するということではない。逆に政府の政策を実施する教育、科学の資源や可能性を最大限に活かし、協力すべきである。政府は、国にとって必要不可欠な研究を政策で支援し、知識の安全性を確保し、国の利益の保護に最善を尽くす。

残念ながら、政府と高等教育の協力は、主に大臣や長官の任命、選挙のポピュリズム、利益相反の圧力から制限されている。

だから、「ガバナンスの独立性」とは、政治から独立し、創立者、研究者、専門的組合、卒業生、学生、民間企業などステークホルダーで構成された共同運営の仕組みの下で学問の自由の原則を実施する社会責任のある、公正で倫理的なガバナンスシステムを言う。

独立した高等教育の運営委員会の設置を何度も試みてきた。その最後の試みは、2016年の高等教育法改正(国会、2016)だった。政治的な人事、利益相反からの独立、協同運営の実施、大学の発展戦略、研究の最善方針の特定、学問の自由、メリットと社会的企業原則を実施する環境整備などが確保されてはじめてガバナンスの独立が成し遂げられる。

しかし、2020年12月に議論された「高等教育法」の改正案には、またもや政府代表者が大学の運営委員会の3分の2を構成するという規定が盛り込まれていた。政権が交代する度に国有企業や国立大学の代表者や役員、委員に政府の人事権が幅を利かせている。この様なことが無くならない限り、問題は改善されない。

Q5.社会的企業の原則とは何か?

「社会的企業」とは、ビジネスの基本的な原則や条件に基づいて活動し、得た収益を法人や個人のために積み立てるのではなく、より良い社会、将来の教育、科学の発展のために使う原則を持った企業を言う。社会起業家、ソーシャル・ビジネス、ハイブリッド・ビジネスとも呼ばれるが、収益を得て、それを教育や科学の発展に使うという本質は変わらない(Brinukerhoff,2000)。

世界では、大学だけでなく、社会福祉機関はこの原則で社会の問題解決を目的とし、それを実施する財源を自ら解決してきた。イギリスでは、社会的企業は経済の「第3分野」と言われ、ビジネス分野における労働者の5%を構成するようになった(UK government, 2018)。

この原則を適応するために、大学のガバナンス、資金調達の独立性の法整備を進め、活動を税や投資政策で支援するべきである。西側諸国は、この原則を適用するにあたり、大学と営利目的をもつ民間企業を過度に同一視した結果、高等教育が損なわれたことを忘れないように警告している。アメリカの研究者等は、国立大学と民間大学を同一視し、政府の財政支援を削減したことが「大きな間違い」だったと言っていたことを忘れてはならない(Newfield, 2016)。

国立大学は、教育法の「非営利教育機関」(国会、2002)に分類されるが、それでも課税や政府監査があり、なにしろ「国有企業」という分類でその活動が監督されなければならない。これは政府の政策と活動がいかに矛盾しているかを示すことである。

Q6.財政資金の独立性とは何を言うのか?

唯物論的に「もし、あなたが経済的に独立していなければ、いつまで経っても自治権を有することができない」というだろう。これと同様に、国立大学にも財政資金の独立性が非常に重要である。今日では、大学の予算の90%が授業料だけで構成されている。これは、私たちのポケットが空になり、借金を背負うことの要因になっている。

大学が社会的企業の原則に転換し、複数の資金源にアクセスできる条件を整備できれば、授業料の構成比は40%を下回り、学校が提供する奨学金の額は劇的に増加する。すなわち、大学は法律の範囲内で知的財産への投資、知的生産の実施、経済における知識の応用などによって資金を調達し、その資金で優秀な教授や学生を誘致するほか、彼らに奨学金を提供し、教育や研究活動の環境を改善することができる。さらに助手やインターンとして勉強することができ、収入を得る環境が整備される。

この資金源は、言うまでもなく政府予算、基金、民間投資、スタートアップ企業、技術移転、特許、実用新案、ロイヤリティ、コンサルティングサービスなどから得る正当な収入である。大学は、これらの活動を実施するための知的能力と熟練した人材を確保することで、この投資を成功に導くことができる。

モンゴルの高等教育分野において、全部で95の大学に148,446人の学生が在籍し、7,309人の教授が務めている。修士課程に25,753人、博士課程に3,392人が在籍している(国家統計局、2021)。これは大きな可能性である。しかし、これらを活用するためにずっと話されている改革が行われなければならない。

最後に結論として

表面的なものになりがちな高等教育の改革ではなく、ガバナンスや財政を新しい原則によって発展させる政策、法律、社会、経済的な変革を起こす時が来たと思う。

社会的企業の原則に基づき、政治から独立したガバナンス、メリット、学問の自由、倫理、社会的責任を備えた高等教育のみが改革の結果でなければならない。

学生が安価に勉強できるように高等教育の授業料を下げるのではなく、質の高い教育を奨学金によって受けられるように高等教育の財政予算の改革が行われなければならない。

適切なシステムは自己を発展させるという道理に沿い、私たちは高等教育のガバナンス、財政予算の優れたシステムを構築できれば、モンゴルの社会は知識社会になるという観点から「偽り」の改革を放棄するべきである。

オロルマー・ムンフバト