高岡正人氏は、東京大学教養学部で国際関係論学士号を取得し、ハーバード大学ケネディスクールで行政学修士号を取得しました。外務省総合外交政策局軍備管理軍縮課兵器関連物資等不拡散室長、外務省大臣官房海外広報課長、外務省大臣官房参事官兼経済局副局長、財務省大臣官房審議官(国際局担当)、防衛庁書記官・防衛庁運用局訓練課長を歴任しました。高岡氏は、在インド日本大使館政務担当参事官、ウィーン国際機関日本政府代表部一等書記官、イラク駐在特命全権大使、シドニー総領事を務めた経験があります。2016年11月からモンゴル駐在特命全権大使を務めています。

J(ジャルガルサイハン): こんにちは。

高岡正人: こんにちは。番組に招待して頂き、ありがとうございます。

J: あなたがモンゴルに駐在する日本の特命全権大使に任命されて2年が経ちました。この11月に3年になると思います。今日までのモンゴルでの仕事について感想を聞かせてください。

高岡正人: とても素晴らしいです。私が2016年12月に初めてモンゴルに来た時は、私のモンゴルについての知識はとても限られていました。それから約3年が経とうとしています。今、振り返ってみると、モンゴルでの3年間はとても充実していました。モンゴルはとても素晴らしい国です。また、日本とモンゴルの関係はとても緊密かつ積極的です。ですから、両国には様々な可能性があると思います。

J: あなたはイラク駐在特命全権大使、オーストラリアのシドニーで総領事を務めていました。現在、あなたはモンゴルにいます。あなたが外交官への道を歩むきっかけは何だったのですか? 

高岡正人: とても興味深い質問ですね。実は、私は田舎の出身で、兵庫県の高校学校を卒業して大学では理科学を学んでいました。しかし、私は理化学よりも興味のある学問を見つけ、それが国際関係の専門でした。最初はジャーナリストになり、政府の政策を批判する評論家を目指していました。しかし現実は、私自身が政府の職に就き、政策の作成や政府のプロジェクトへ参加したいと思うようになりました。つまり、公務分野に入りたかったため、外交官の道を選びました。

J: あなたはこれまで長く公職に就いてきました。1981年に外務省に入省し、ウィーン、イギリスなどの国に赴任してきました。そして、今日では外交公務の長にまで登り詰め、特命全権大使に二度任命されています。あなたは自身および日本の外務省の職務経験から、日本とモンゴルの外交の違いについて話して頂けますか?

高岡正人: 私はこの仕事を通じて、海外に赴任している、もしくは中央機関に務める多くの諸外国の外交官と会ってきました。私たちが直面する試練は似たようなもので、皆が1つの「言語」で話していると言えます。モンゴルの外務省の方たちと話していると、彼らが何を考えているかは直ぐに分かります。そのため、専門性において、例えば、外務大臣の前でどのような義務責任を負うのか、公共の利益のためにはどのように対応すべきか、国の立場を表明できる政策をどのように作成するかについて、私たちはお互いに同じように考えています。

J: 日本はモンゴルと初めて外交関係を樹立した西側諸国の1つです。モンゴルと最初に外交関係を樹立した西側の国はイギリスです。国交を樹立した当初、在モンゴル日本大使館はウランバートルホテルの中にありました。今日ではウランバートル市中心地にとてもきれいな建物を建てて、そこへ入っています。モンゴルと日本の外交および経済関係や協力活動は幅広くなっています。現在、両国の関係はハイレベルに達し、日本からモンゴルへの援助は増え続けています。このことを質的にみて、在モンゴル日本大使館がホテルから出て自分たちの建物を有するようになったことに例えても良いかもしれませんね。(笑)

あなたは特命全権大使として、政治および経済分野における日本とモンゴルの現状関係をどうみていますか?

高岡正人: これはとても幅広い分野にまたがる話だと思います。日本とモンゴルは、1972年に国交を樹立しました。2年前に国交樹立45周年を迎えました。そして2022年には国交樹立50周年を迎えます。この45年の間で、両国の関係は本当に大きく前進しました。あなたが言ったように、最初の私たちの大使館はウランバートルホテルの中に置かれていました。今の大使館の建物は23年前に完成しました。現在、日本大使館がある場所は、当時おそらくウランバートルの中心地ではなかったと思います。現在、隣にはシャングリラホテルが建てられ、市内の中心部になっています。大使館の建物が建てられた当時、周辺には高層ビルはありませんでした。大使館からはザイサン丘がとてもきれいに見えていたといいます。周りに高層ビルがないから、大使館内に常駐していた職員は部屋のカーテンを閉める必要がなかったという話があるほどです。(笑)

当時に比べて、今ではモンゴルという国は大きく変わり、発展し、人々もより幸せになったと思います。私たちの関係も変わりました。1972年にモンゴルは世界に数あった「社会主義国」の1つでした。それが1990年に民主主義運動が始まりました。日本はモンゴルの持続的な発展、民主主義の進展を応援していた国の先頭にいたと思います。私たちは比較的近い隣人であり、日本とモンゴルは、民主主義や自由といった共通の価値観を持っています。私たちは、モンゴルが強力で安定した国であってほしいと願っていますし、みなさんが尊重する価値観を発展させてほしいと思います。ですから、様々なことが変化してきたと思います。例えば、政治、経済、文化および国民同士の関係をみてみましょう。

私は日本からモンゴルへやってきた日本人と時々会って話をします。そこでしばしば「日本とモンゴルの関係は、どのようにしてこれほど親密になったのでしょうか?」と聞かれます。政治的には様々な関係構築がありました。例えば、去る6月に日本の外務大臣がモンゴルを公式訪問した時など、とても有意義な会談を開き、両国の関係だけでなく、地域、国際的な問題についての話し合いが行われました。このように私たちの間では話すことが数多くあります。また、この間、タイのバンコクで開催された東南アジア諸国連合(ASEAN)地域サミットでは、日本とモンゴルの外務大臣が会談しました。

J: 両国の関係は、政治的にハイレベルに進展しました。経済面において、モンゴルが困難に直面していた時期に、必ず日本は多くの支援を行いました。90年代の厳しくて寒い冬、公共バスが使えなくなった時に、私たちに向けられた日本の援助は忘れられません。日本の国民には多くのことで感謝しています。2〜3年後、両国は国交樹立50周年を迎えようとしています。これを前に両国の経済関係について、あなたはどう評価していますか?

高岡正人: 両国の経済関係は良好に進んでいると思います。両国政府が締結した経済連携協定の範囲で、数多くのプロジェクトを実施しています。その中でも私たちは、新国際空港に大きな意義を感じています。この新国際空港プロジェクトでは、モンゴル政府と日本の企業コンソーシアムの間でコンセッション契約が結ばれました。日本は新国際空港の建設だけでなく、管理運営にも参加できるようになったことをとても光栄に思っています。なぜならば、この新国際空港の建物は、私たちの親友であるモンゴルと他国を空路で繋げる戦略的な主要インフラになると私たちは見ています。

モンゴルの発展のためには、他国との関係はとても重要です。ですから私たちはこのプロジェクトへの参加を光栄に思っています。さらに、このプロジェクトは日本およびその他の国の国民に対して、日本とモンゴルがこのような大規模プロジェクトで協力できていることを示すと共に、外国および日本の投資家にとって強いメッセージになると思います。そしてこのプロジェクトは、日本とモンゴルの親密な関係のシンボルにもなります。

また、ここで必ず話しておきたいことが1つあります。それは2016年6月に発効した経済連携協定(EPA)です。モンゴルにとって、これは他国と締結した唯一の自由貿易協定です。このEPAが発効してから、両国の貿易関係は大きく進展しています。輸出入の規模も増加しています。私たちはEPAを締結したことによって、投資家たちに「これは私たちが協力すべき国だ」というシグナルを届けなければなりません。このような仕組みができたことが、私たちにとって大きな幸運となります。

J: EPAの話が出てきたので、1つ懸念される問題に触れたいと思います。両国の間でEPAが締結され、モンゴルはこの機会を利用し日本から多くの中古車を輸入するようになりました。現在、モンゴル全国の自動車の大半を日本車が占めています。そこで左右のハンドルの問題も出てきています。モンゴルは右側通行の国ですが、モンゴル人にとって日本車は安価で高性能であるため、彼らの輸入を禁止できない状況です。また近年では、ハイブリッド車のバッテリーをどう処分するかが問題となってきています。これについてあなたの見解を伺いたいと思います。

高岡正人: まず、日本から輸入されている中古車はEPAによる関税撤廃の対象とはなっていません。EPAとは全く関係がないということです。なぜならば、中古車の場合は原産地規則に合わせることが難しいからです。新車の場合は、原産地規則に合わせることは簡単です。

J: 輸出についてですが、モンゴルからどのような製品の輸出量が増えていますか?

高岡正人: カシミア製品をはじめ、多種多様な製品が輸出されるようになりました。また、自分たちの店舗を構え、マーケティングを積極的に行うようになりました。

J: 日本におけるモンゴル国およびモンゴル製品について知名度は上がっていますか?

高岡正人: はい。少し前までは、私たちにとってカシミア製品を購入することは簡単ではありませんでしたが、今ではモンゴル産カシミアを適切な価格で手に入れられるようになりました。

J: それは両国の協力活動の成果ですね。最初の日本からの支援でGobiカシミア工場が建てられました。今日、Gobi工場は民間企業となり、以前よりも効率的に営業活動が行われていることを嬉しく思っています。

高岡正人: そうですね。価格と品質は重要です。また、「日本市場で受け入れられる水準は国際市場で受け入れられることと同じ」とGobiの方たちに言われると嬉しく感じます。品質を日本人消費者の需要とニーズに合わせて向上させることは難しいことかもしれません。しかし、一回できてしまえば、製品を国際市場で販売することが可能になります。

先ほどの自動車のバッテリーの話に戻りますが、この問題に関してトヨタ社はとても常識的に対応するでしょう。トヨタ社はモンゴルに輸出される中古車に直接関わっていないとしても、社会問題化してくると名誉を守るために注意を向けるしかありません。

J: それを聞いてとても嬉しく思います。モンゴルではこの問題にまだ注目されていませんが、トヨタ社が日本で行っている対応策を私たちも見つけられることを期待しています。

あなたと話したいもう1つのテーマは、日本に留学するモンゴル人の増加についてです。増加の原因は何だと思いますか?

高岡正人: 現在、日本には約3,000人のモンゴルの若者が留学しています。これはとても素晴らしいことです。モンゴル人1,000人に1人という数字です。モンゴル人が若い時分の一時期を日本で過ごすこと、自らの知識や専門スキルを向上させるために日本を選んでいるということは、私たちにとって光栄なことです。同時に、日本に留学し、モンゴルに帰国した多くの若者がそれぞれ頑張っているのを目にすると、とても誇らしく思います。私たちにとっては、モンゴルが力強く安定して発展することが重要です。留学生がモンゴルに帰る時、日本の知識の他に日本の文化や道徳心を持って帰ります。

J: また、日本留学経験者の一部が再び日本に渡り、日本の企業に長期もしくは短期で就労しています。留学ではなく就労目的で渡航している人たちもいます。私が理解している限りでは、就労しているモンゴル人の数は約9,000人といわれます。また、日本は東京オリンピック開催に向けて技能実習生を数多く受け入れていると聞きました。これについて話して頂きますか?

高岡正人: 現実に日本は労働人材が不足しています。むろん、オリンピックも重要です。単にオリンピックだからではなく、他に様々な分野で豊かな経験を有する人材が必要とされています。そのため、日本政府はある程度の能力を身に付けた人材を日本に派遣する許可対象国の1つにモンゴルを選びました。そしてモンゴルの労働大臣、日本の厚生労働大臣が条約に署名しました。これがモンゴルから日本に渡る入口になっています。

J: 私たちは経済、政治、教育そして両国の民間交流といった幅広い分野について話しています。例えば、両国のたくさんの人が互いの国を行き来しています。これは日本とモンゴルの協力関係が活性化し、発展していることの証左です。

もう1つ、伺いたいことがあります。もうすぐ、モンゴルはハルハ河戦争勝利80周年を記念します。その昔、ハルハ河においてソビエト軍とモンゴル軍が、関東軍という日本軍と戦い、日本に勝利したことを記念して祝おうとしています。80年前に起きたこのハルハ河戦争をあなたはどのように見ていますか?

高岡正人: あの時代に何が起きたかを私たちは忘れません。ノモンハン事件について私たちは知っています。また、戦後13,000人の日本兵士が抑留され、モンゴルで労働力として移送されました。残念ながらこれらの兵士の大半が亡くなりました。しかし、過去は過去です。私たちは前を見て歩み、先ほども申し上げたように、日本とモンゴル二ヵ国間で親密な関係が構築され、戦略的パートナシップとなったことにとても満足しています。今の時代では、数多くのモンゴル人観光客、学生が日本を訪れています。この間、私たちは大使館公邸で新しい天皇が即位され令和という新年号が始まったことをモンゴルの政府関係者と一緒に祝いました。

J: 最後に、地域問題についていくつか伺いたいと思います。上海協力機構という多国間協力組織があります。モンゴルはこの組織に最初からオブザーバー国というステータスで参加してきました。今日、モンゴル大統領は、オブザーバー国から加盟国にステータスを上げようと提案をしています。これを全国の識者や研究者、研究機関が検討しています。あなたはこれについてどう思いますか?

高岡正人: 上海協力機構へ加盟するかどうかを、モンゴル国は単独で判断すべきことだと思います。日本やその他の国と親密な関係を構築するため、あなた方が言う「第三国政策」や、あなた方の自由、民主主義への信念を私たちは尊重しています。

モンゴルはこれらの価値観を今後も発展させ、私たちは両国、さらには地域をはじめ世界で協力することができると信じています。これはとても重要です。なぜならば、日本にとってモンゴルはこの地域における重要なパートナー国だからです。

J: 世間では中国が主導する「一帯一路構想」について広く知られており、これを上海協力機構と間違える人たちもいます。また、中国からモンゴルを通り、ロシアへと繋がる経済回廊の話もありますが、今日まで何の進展もないままです。あたなは一帯一路についてどう考えていますか?

高岡正人: 一帯一路は、日本が関係しているプロジェクトではありません。ですから、モンゴルが一帯一路に参加するかどうかに関して、皆さん自身で判断すべきことだと考えます。しかしながら、このような構想は往々にして地域や世界の平和と繁栄を築くためにあります。私としては、一帯一路が透明性、経済効果および信頼性という面で、国際的に信頼できる水準でインフラが敷設され、またその他の開発が当事国間において適切に連携されるよう願っています。しかしもし、一帯一路に関わる開発を融資で実施するのならば、モンゴルの債務増加が警戒されると思います。

私たちは、一帯一路の活動が国際ルールに基づくことを期待します。また私たちも同様に、アジアの国々と関係を深めて行きたいという考えがあります。私たちは一帯一路に参加していませんが、異なるアプローチで私たちはアメリカやインドなどの国と共に、自由かつ開かれたインド-アジア太平洋地域の協力関係を支援しています。

モンゴルは海に面していない内陸国ですが、モンゴルと日本が共同で建設した新国際空港は、通商の改善に大きな役割を果たすと思います。昨年12月に行われたU.フレルスフ首相の日本公式訪問時に、両国の首相はこの新国際空港の重要性を再認識しました。

J: 今日は両国の関係、世界や地域など幅広い分野の問題について話しました。今日はお忙しい中、インタビューに出演してくださってありがとうございます。最後の質問ですが、私はあなたが毎朝空手をしているのを何度か見ました。何のために空手をやっていますか?

高岡正人: (笑)好きだからです。私は空手の話になると熱くなってしまいます。また、ランニングも好きです。他のスポーツにも興味があります。空手は単にスポーツであるよりも、私にとって空手はより意味のあるものです。

J: 今日はありがとうございました。

高岡正人: ありがとうございました。

高岡正人 * ジャルガルサイハン