D.ダシプレブ氏はモスクワのロシア科学アカデミー哲学研究所で博士号を取得しました。長年に渡り主にモンゴルの哲学史と社会哲学について研究しています。

J(ジャルガルサイハン): 今日のモンゴルの社会における問題について話をしたいと思います。あなたは長年哲学を研究し、その分野で功績を残してきました。モスクワで博士号を取得し、インドのジャワハラール・ネルー大学で教鞭を執りました。また、海外での講演経験も多数あります。1996〜2000年には国会議員も務めました。モンゴルは民主主義国家となり27年が経ちます。あなたは今の社会をどう見ていますか?

ダシプレブ: 私は楽観視しています。これには多くの理由があります。今は私の世代の人間は少ないですが、社会主義の長所も短所も経験してきたので良く分かります。1990年の民主化運動は世界中の波であって、私たちが先頭に立って起こしたことではありません。モンゴルはこの波の影響を受け、新しい社会に踏み出しました。基本的に正しい方向に歩んでいると思っています。なぜならば、人権と自由、透明性を得ることができたからです。公平性や誠実さにおいてまだ改善の余地もありますが、社会はこれからより発展すると信じています。社会主義時代には戻らないと信じています。

J: 人道的に生きるとはどういうことでしょうか?

ダシプレブ: 国というより人間の行動に関する社会道徳、哲学的なことを言います。簡単に言えば、人間として人間らしく生きることを言います。

J: 道徳とは物事の価値観から始まります。人々の価値観は絶えず変わります。過去20数年で変わってきています。この変化をあなたはどのように見ていますか?

ダシプレブ: 科学的な見地から厳しく言うと、私たちは資本を重視した社会、つまり資本主義に入りました。ロシアは70、80年間、モンゴルもそれと同様に社会主義を歩んできました。今私たちが社会主義に戻る根拠はどこにもありません。そもそも資本主義と社会主義の理論は異なります。もし、私有財産を認めなければ所有というものがなくなります。また、公共で所有するとなればその社会に発展は望めません。そこには横領、社会に害をもたらす悪事が横行するようになります。

J: 社会には所有財産なくして発展なしという考えがあります。今日のモンゴルでは国有財産は誰のものでもない状態です。国ではなく政党が所有する財産になってしまっています。これについてあなたはどう思いますか?

ダシプレブ: 私は国有財産を否定しません。国有財産があっても良いと思います。資本主義国では国有財産は大きなものです。だから国有財産を市民の監視の下、その利益を市民が受けるべきです。しかし、モンゴルでは資本主義に移行する時、こういった議論なしで移行してしまいました。

J: 政府という名の下で決定権を有する者がより裕福になっています。だから若者は政府を信用していません。人々の価値観が変わっています。このことをあなたはどう見ていますか?

ダシプレブ: 私は1990年代後半に著書に書きました。所有権が変わるプロセスにはいくつかの理論があります。所有権を変える様々な理論的方法があります。しかし、モンゴルではそういった理論的方法が用いられず、社会民主主義の原理で行われてきました。言い換えれば、力がある者がより大きなパイを取ることを許してしまったと思います。

皆が同じスタート地点に立っているという幻想的な理想主義がありました。しかし、全員が同じスタート地点ということはあり得ません。モンゴル政府は1990年代に国有企業を民営化するプロセスで株式というものを作り国民全員に渡しました。当時は社会主義時代に作り上げた国有財産を平等に分け合うということでしたが、今ではそれらの株式に価値はなく単なる「嘘」でしかなかった。当時の政治家は国有財産を計画的に民営化すべきだったと思います。

J: 当時はみんな貧しく100ドルも持っていなかった人はザラでした。しかし、国有財産を民営化する動きが始まった当時、国有財産を私有にできた人たちがある程度資本を蓄えたから今日の発展の基盤が作られたと思いますか?

ダシプレブ: 当時ズル賢く横領した人たちは貯蓄ができたと思います。しかし、これを発展のためと無視するかどうかが問題だと思います。なぜならば、法治国家として犯罪が無効になってはいけません。たとえその犯罪が時効になったとしても、その人の名誉、子どもたちに何らかの形で影響するからです。

J: モンゴルは腐敗に溺れていると言われています。私たちは腐敗をどのようにして止めますか?

ダシプレブ: 社会における一般市民の監視を強化すべきです。マスコミは正義と透明性をもって動くべきです。

J: 人口の20%が貧困で30%が今日の食事にありつけるかどうかの生活をしています。貧困が腐敗を招く間接的要因があります。どうすれば良いですか?

ダシプレブ: 今の社会の仕組みが良くないのは確かです。人々は正義感のあるヒーローが出てきて全てを良くしてくれると考えているようです。しかしこれは幻想でしかありません。できることは、人々が正しい法律を要求して初めて法律が施行されるようになると思います。

J: モンゴルのマスコミは政治家に握られています。国民は何が本当で何が嘘かを区別できなくなってしまっています。これもどうすれば良いですか?

ダシプレブ: 国民は嘘を見抜くようになっていると思います。法律を尊重し、守っている人たちはいます。その人たちを全員が支持すべきだと思います。

J: そのためにはすべての人が法律を尊重し守るようになるべきです。しかし、政治家は法律を自分たちの都合の良いように「作って」います。これはどうしますか?

ダシプレブ: あなたは前に人民党の中で分裂が生じたと言っていました。これは社会における分裂の現れです。1990年から誤って歩んできたことはあります。東ヨーロッパの社会主義諸国は民主主義に移行する時、共産党を解党しました。モンゴルも解党させるべきでした。政党に対する人々の考え方は社会主義時代のままです。政党とは社会組織です。もし、間違っていれば正さなくてはいけません。政党の力で上手くいっている人たちにとって政党は良いものだと思います。しかし無所属の議員には全く関係ない。だから政党に正義がなければ離れなければなりません。また、モンゴルの隣国であるロシアと中国の権威主義の影響もあると思います。モンゴルは2つの大国に挟まれている小国です。しかし、私たちはできるだけ正しい方向に発展して行かなければなりません。

J: あなたは2000年の憲法改正に反対していました。今17年経ちどう考えていますか?あなたの考えは正しかったと思いますか?

ダシプレブ: 私は自分の考えを信じています。なぜならば、当時の憲法改正の理由は本当に小さなものでした。当時の憲法改正は政府の立場を危うくする危険性をはらんでいました。一握りの人たちの利益を守るためだけに憲法改正が行われたのです。

J: その結果、民主主義の柱となる3つの制度のバランスが崩れてしまいました。

ダシプレブ: 憲法改正には国民も積極的に参加しましたが、殆どを経験ある外国の専門家たちが原文を作成しました。当時の憲法には三権分立の原則が反映されていました。しかし、それを憲法改正で崩してしまいました。制度とは、主軸となる原則を崩してしまうと他のものも崩れるものです。1924年、憲法の原文をロシアが作成しました。私たちは未だに自分たちの手で憲法を作っていません。モンゴル人が作った初めての憲法と言えばイフ・ザサグです。その後、フビライハンの時代に中国の法律が多く入ってきました。当時のチベットや中国の優秀な人たちに作らせたので、中国の法律の影響が大きかったのです。歴史的にみれば、フランスの哲学者モンテスキューより前のフビライの時代に政治権力の分立はあったのです。当時は政治権力を4つに分けていました。これには、王の権力、教師の権力、政治家の権力、儒教を教える僧侶の権力とあります。

J: 宗教はモンゴルの社会形成、道徳、価値観において影響を及ぼしますか?

ダシプレブ: 仏教については改革が必要です。例えば、寺院で唱えられるお経はモンゴル語で読まれるべきです。寺院にいる僧侶は正式に結婚し、家庭をもつべきだと思います。中世のチベットの原則はチベットには適していました。しかし、現代のモンゴルには合いません。ですから寺院の組織構造を変えて現代化する必要があると思います。

ダシプレブ * ジャルガルサイハン